『ないものねだり』
幼い頃から欲しかったモノがありました。
それは見えないもので、触れる事も出来ないモノでしたがその当時の私はそれをとても渇望していました。
子供は馬鹿だと下に見る大人もいますが、これが実際どうでしょう。
子供は大人よりも周囲の行動に敏感です。
大人の機嫌が悪かったらそれを察して自分ながらに動くのです。
子供は子供ながらに世の闇を知っていると思っていた方がいいでしょう。
もちろん、幼かった頃の私もそれに当てはまりました。
毎日の様に親のご機嫌を伺うのです。
楽しかった話も悲しかった話も、親の機嫌次第で言えなくていつも寂しい想いをしていました。
いつも他の家の親と自分の親を比べていました。
楽しく話をしながら帰る親子の背を見る度に、その当時は分からなかった嫉妬が私を駆け巡りました。
ずるい、私もそうなりたい、見てもらいたい
子供ながらの精一杯のエゴが初めて生まれた時でもありました。
「あっちいって」
エゴが生まれた時から、私は見てもらえるように自分なりにアピールをしていましたが
両親には意味がなかったようでした。
「ごめんね」
まだ安定していない幼い口から発せられる謝罪の言葉
そんな謝罪も意味の無いものになってしまう。
まだ何も知らぬ幼い体にはとても耐えがたいものでした。
見て、ねぇ見て、私を見て
興味がなそうに私にそっぽを向く両親の背に必死に訴えど意味はありませんでした。
心に栄養が届かないまま私は大きくなり、少しながらあの時何を欲していたのかが分かるようになりました。
そうずっと、ずっと私はそれを欲していたのです。
"愛がほしい"
『好きじゃない』
仕事は好きです、だってお金が貰えるから。
笑うのは好きです、だって皆が笑ってくれるから。
起きるのは好きです、だって朝日を見れるから。
私は、ワタシが好きです。
でも…本当にそうなのかと自分を疑う時があります。
私の人生が、何をするにも理由が必要になったのは一体いつからだったでしょうか。
考えるたびに行き着く場所は決まっているのに
私は愚かだから考えてしまうのです。
変えられない事実、それは"他人"を意識するようになった時からワタシは何をするにも理由が必要になってしまったのです。
好きだったあの遊びも、好きだったあの洋服も
"他人"という存在が私を歪な存在にしてしまったのです。
好きじゃない、こんなワタシは好きじゃない
心の中でそう唱えようとも私はワタシのままでした。
過去が眩しい、幼い頃の私が無邪気に笑えたあの瞬間
私は心の底から幸せだったのだろうと
大きくなってしまったワタシには、とても辛く泣きたくなるような過去そのものになってしまったのです。
仕事なんてしたくない、愛想笑いなんかしたくない、
朝だって起きたくない
それでも、生きているかぎりそれらは逃れられない物でした。
憂鬱な朝を起き、笑い、仕事をする
あぁワタシは今日も健全だ
だけど…健全だけど満たされない
満たされないこの思いを胸にワタシは今日も叫ぶんです
"こんなワタシは好きじゃない"