お題「記憶の地図」
あれを思い出すと必ずこれを思い出す、というような記憶の中にも道順のようなものはあるようなのです。
昔、学校から帰ってくるとお気に入りのマグカップは食器棚から消えていた。
母に聞くと飲み口が欠けていたので捨てた、と。その言葉を聞いたとき自分の頭がぐらりと揺れた気がしたのを数十年経った今でもはっきりと覚えている。
あのマグカップは小学校に入る前、初めて自分で選んだ自分だけの食器だ。
自分が好きな形で。
色で。
柄で。
素材で。
自身の好みを初めて自覚しながら、悩みながら出会った大切なお気に入りのマグカップ。
僕はそんな大事なマグカップの最期を惜しむ事ができないまま別れてしまったと。
他の人が聞いたらそんな大袈裟な、と思うことだろうが、あの頃の自分にはマグカップごときでも、大切なものとの別れは重要な事だったようだ。
今でも、大事なものが出来ると必ず思い出す。
お題 大事にしたい
ショートケーキの上から慎重に苺を降ろす。
そしてクリームとスポンジを別々に食べるのが、ケーキを食べる時の娘のルーティンだった。
「一緒に食べた方がおいしいよ?」
「こっちのほうが美味しいのが長く食べれるからいいの」
目線はケーキから外さず、頬にクリームを付けながらそう答えた。
なるほど。その考えはなかった。
私はすこしでも時間をかけて美味しい時間を長く取ろうとする考え方は思いつかない。
あれは楽しみを長く味わうためのひとつの知恵だったのだ。
娘のそんな考え方を私も持って大事にしたいと感じたそんな休日だった。
お題 時間よとまれ
気付けば、あの人の声を思い出せなくなっていた。
写真やビデオに撮られるのが嫌いな人だったから、しっかり残っている物は殆ど無い。
遺影だって大分前に無理やり撮っていた、不機嫌な顔写真を使っている。
それでも写真は姿は残せるが、動いてはくれないし、喋ってもくれない。
気付いたころには思い出の中のあの人は、声を聞かせてくれなくなった。
思い出だって時が経つにつれて、段々と忘れていってしまうんだろう。
そう思うと、どうしても急に、さみしくなる。
自分以外誰もいないリビングにある、不機嫌なあの人をながめた。
「時間よとまれ……」
こぼれた声はだれも聞いてはいなかった。