夢見がちな少女時代は、ほわほわしてる。
身の回りに吹き出しのような夢がもくもくと浮かぶ。
でも、心の中ではそわそわしたり、くよくよもする。
夢見る心配性なのだ。
若者の「届かぬ想い」離れが酷すぎる。
送信すればなんでも届いてしまうのだ。
昔は届かぬ想いに悶々としながら、それが文学やその他芸術を育んできた。
今では届きすぎてしまい、むしろ迷惑になっていることもある。
既読無視やブロックで想いは軽々しく扱われる。
これは何を育ててしまうのだろうか?
片付けをしていたら、古い菓子箱から小さい頃に書いた手紙が出てきた。
「神様へ
死ぬってなんですか? 怖いです。死なないようにしてください。もし、死んでもすぐに生き返るようにしてください。お願いします。パパもママも、お兄ちゃんも死なないようにしてください。」
こんなの書いたんだっけ?
だからなのか。
もう飽きてきたよ。
俺もとうとう200歳……
「パパ、今日はいい天気だね、雲ひとつ無いよ」
「ん? そうだね、快晴だね」
大人はもう空なんか見ない。
「パパ、雲がさ、太陽を隠しても、なんで明るさ変わんないの?」
「ん? そりゃそうだよ、太陽も雲も、月も星も、関係ないからね」
「ふーん」
その時、空が真っ黒になった……。
「あっ、何?」
「大丈夫、瞬停だよ、すぐ戻る」
父親の少し笑った顔が、はっきり見えていた。
遠距離恋愛といえども地球と月では、空間だけでなく時間でも隔てられている。個人的な通信では行って来いで約3秒、その3秒で誤字脱字を見つけてしまうのが小さなストレスだったが、最近はAIが勝手に補正しちゃうのでまあ、ありがたい。
また、同じ空を見ていても地球ドームの天井と、月ドームの天井は物理的には別のもの。遠くの空へ気持ちを込めても、それは恋人と繋がった空ではなく、お互いの天井スクリーンでしかない。バーチャルにつながっているとはいえ、それはふたりの気持ち次第。設定次第で違う空にもなってしまう。
それでも同じ空を見ている、同じ星を見ていると思いたがるのが遠距離恋愛。