『ふたりぼっち』
歳を重ねていくにつれ、ひとりが増えた。
あんなに誰かと一緒に居ないと不安でどうしようもなかった学校生活も、早く職場に馴染めるようにとコミュニティーに参加することも、なくなった。
それは必要、不必要なことだったとかではなく
自分で選択していくことを自分自身が覚えたのだ。
無理な付き合いをなくし、ひとりが増えると
自分の声がよく聞こえる。
あれがしたい、これはしたくない。
これが食べたい、これは嫌いだ。
じゃあ、なにがしたい?
なにが食べたい?
まるで小さな子供の頃の自分がわがままを言っていて
大人になった自分が寄り添って慰めているような。
本当の自分は、優しくも愛想が良いわけでもない。
もっと自己的で、甘いお菓子だけを食べたい。
汚いものは触りたくないし、嫌な話も聞きたくない。
大人になるにつれ、選択肢も増え自己責任でやってきたような気でいたけれど、本当は小さな不安がる子供を守る為に無理矢理大人ぶっていただけみたいだ。
ひとり時間が増えようと、その中には
本当に言いたい言葉を秘めた、もうひとりの自分が
確かに存在している。
友達といる方が建前がある分、楽なんじゃないかなと思うほどに自分自身と向き合うのは面倒だ。
だけど、どんな場所でどんな生き方をしようと
ふたりで歩いていくんだと思う。
時に手を繋いで、引っ張ったり引っ張られたりしながら
ふたりで最善な幸福を拾いながら歩いていこう。
背の伸びた自分と、背の低いままの自分ふたりぼっちで。
「なぜ泣くの?ときかれたから」
なぜ泣くの?ときかれたから
なぜ笑うの?と聞いた。
嬉しくても泣く、悔しくても泣く。
嫌なことを言われて誤魔化す為にも笑うし、呆れすぎても笑う。
何故泣いているのか、何故笑っているのか
自分自身でさえもわからないこともある。
だったらこの問いに意味もないし、必要もない。
全てさらけ出したとしても、綺麗に理解してもらえる事の方が少ないのだから。
悲しいことも、嬉しいことも
涙も、笑顔も
自分だけのモノにしたい。
自分だけがこの気持ちを独り占めにしていたい。
幸せを分ける綺麗な心も
辛い事を受け止めて欲しい傲慢な心も
自分自身で抱きしめて、自分だけで咀嚼し栄養にして、生きていきたいのだ。
『優しさなんて』
大切なものほど目に見えにくいし、気づきにくい。
知らないふりをする優しさも
知っているふりをする優しさも
意味も使い方も全く正反対の優しさであっても
見えなければ簡単に一括りにされる。
優しさなんてものは自己満足だという人
見返りを求めてくるなら優しくしてくるなという人
中途半端な優しさならいらないという人
傷つき傷つけあって生きる人間だからこそ
必要だ必要ではないと感情に揺さぶられる。
優しさというのは人に施せる行為を指すのではなく
言葉に表し切れない万物への愛しさを具現化し
優しさという名前の道具に変え
自分の手に握りしめられる愛情ではないかと思う
それは自分自身を守り戦う剣と盾になるのだ
人によって姿、丸さ、鋭さは違えど
その手のひらにある道具はその人自身が生きる為に
磨き上げ、あるいは削り削られ形を変え
今、あなたやあなたの近くの人を守る為の武器になる
優しさなんて、やわらかな名前から想像できないような貴方だけの色々な姿に変わる道具なのだと思う。