彼女は理想郷を目指して旅をしていて、私は彼女の用心棒だった。道端のキノコを食べた彼女が中毒死するまでは。「散骨は理想郷で」という彼女の最後の願いを叶えるべく、私は今日も旅を続けている。空は抜けるように青くて、たまに行き当たるかつて都市だった廃墟に人の気配はみじんもない。みんな理想郷とやらに行ってしまったのだろうか。歩き疲れたので手頃な草むらにゴロンと横になる。羊の群れみたいな雲がのんびりと風に流されていく、そんな穏やかな秋の午後。#理想郷
私はいわゆる神様で、かれこれ千年近く生きている。記憶の容量はすでにオーバーしていて、近頃物忘れがひどいし、懐かしいと思えるほど昔のことを覚えていない。しかし強いて言うのなら、最近ちょっと訳あって面倒をみることになった旧友の曾孫に、今は亡き友人の面影をみることがある。思春期真っ只中のその曾孫には、うざがられるに決まっているので絶対に言わないけれど。#懐かしく思うこと
君が報われるもう一つの物語に辿り着いて初めて、私が好きになったのは不遇な君に重ねた自分自身だったことに気付いた。#もう一つの物語
意気地なしの私でも、暗がりの中でならあなたの側に居られるから、私は星の綺麗な夜が好き。あなたの見上げる夜空に私も目をやる。そうするとなぜだろう、いつも私は少しだけ泣いてしまうのだ。#暗がりの中で
ティーバッグを使ったロイヤルミルクティーの淹れ方をご存知だろうか。紅茶を嗜む人からするとほんの少し眉を顰めたくなるようなレシピかもしれないが、私にとっては母と受験にまつわる思い出の飲み物だ。高校3年の冬、迫る入試に始終ガルガル吠えていた私はちょっとしたことでよく母に当たっていた。そんなちっとも可愛げのなかった私に、母は毎夜そっと勉強机に特製のミルクティーを差し入れてくれたものだった。もっとも当時は、カフェインで寝つきが悪くなるわ夜中にトイレに起きるわで、ありがた迷惑にしか思っていなかったけれど。母の愛に気付くのはいつだって数十年越しだ。大袈裟な愛情表現をする人ではなかった。だけど母がせっせと植えた種は、時折ふとしたきっかけでふわりとやさしい香りの花を咲かせる。今夜は温かい紅茶を淹れよう。そして、たまには実家に電話をしようかなと、遠い故郷を想い月を見上げる。#紅茶の香り