夏はつまり君だった。河川敷の舗装されたアスファルトの陽炎の中を僕達は並んで歩いた。
「早く自由になりたい」が僕の口癖だった。
「でもね、自由ってのもそれはそれで幸せなのかどうか分からないと思うんだ」と君は言った。
「どうしてそう思うの?」君の横顔を覗き、僕はたずねる。
「うーん上手く伝えられないんだけど」そう前置きしてから君は少し考え、
「花は散るから綺麗でしょ?」と言った。僕は胸がきゅっと締め付けられたけれど「そうだね」と言った。君は伝わったことに安心したのだろうか、にこっと笑った。
「私の幸せのために君の人生に一つルールをあげます」
「僕のじゃなくて君の幸せのためなんだ」
「もちろん!」僕は君のその傲慢な生き方が好きなんだよな、と心の中で思った。「いいよ、一つだけ授かろう」
すると声高らかに謳った君はこう言った。
「私を忘れないでね」
君の涼しくて綺麗な声を、薫風に揺れる黒い髪を、月に似た表情を、夕暮れが延ばす二人の影を、蝉時雨を、草の匂いを、締め付けられた胸の感覚を、たった一度きりの夏を、あの陽炎の思い出を僕は今も僕の心に縛り付けている。
よく晴れた朝だった。雀の囀りと窓を抜ける陽の光はまるでまだ夢の中みたいに思えた。目を擦り伸びをする。大きく息を吐いて目を閉じ、雀を聞く。僕の心模様を除けば、それは完璧な朝だった。
何かを諦めたみたいに目を再び開き部屋を見渡すと薄日が壁に道を描くように一直線に走っている。陽に照らされた細かな埃がいちいち綺麗だ。こんなものでさえ、僕には綺麗だ。
窓を開けると立ち込める鬱屈な空気を洗い流すかのような心地よい風がふわりと肌を撫でていく。視界の上の方で前髪が揺れる。風にも旬があるとするならそれはきっと四月なのだろうなと思う。
前髪越しに青空が覗く。電線で休む何羽かの雀が五線譜に全音符が書かれた譜面みたいに見える。真っ青な空に一つだけ雲が遊泳するように浮いている。目に映る全てが穏やかな絵になる。
ぼんやりと雲を眺めていた。そこにはきっと時間という概念はなかった。空の青と雲の白のぼやけた境目を、もう二度とその形には戻れない雲の全体を交互に眺めていた。
果たして僕はどこからが僕で、どこまでが僕なのだろうか? いつまでの僕が僕で、いつからの僕が僕なのだろうか。
また今日が始まってしまった。