心の健康
心と身体は繋がっている。
心配ごとがあると、食事も喉を通らず外出も出来なくなって身体も不調になり、益々心が病んでくる。
身体が疲れていても同じだ。
身体が不調だと、何もしたくなくなって、食欲もなくなり心も不調になる。
だから、まずは身体の健康が大事だと思う。
身体が健康なら、多少の悩みがあっても、美味しいものを食べて、沢山寝て、気晴らしに綺麗な空気でも吸いに行けば少しは心が軽くなる。
前向きな気持ちになれば、良い考えも浮かんでくる。
私は深刻な悩みは、夜考えないようにしている。
一日の疲れが溜まっている夜にクヨクヨ考えても、良いことはない。
夜は、明日考えよう、きっとなんとかなると頭を空っぽにして、取り敢えず食べて、お風呂にはいって寝る。
そして、朝スッキリした心と頭で考えれば前向きな考えが浮かんでくる。
そうはいっても、本当に弱っているときは難しいのだけれど。そうなる前に、沢山食べて、沢山寝て、外の空気を吸おう。
健康な精神は健康な肉体に宿る!
君の奏でる音楽
家族で食事中の話題で、楽器の演奏の話になった。
学生時代吹奏楽部にいた私は、楽器の演奏というと皆で合わせるというイメージだが、娘は一人で演奏する事をイメージするらしい。
何でも一人で行動する娘らしい発想だと思った。
人はそれぞれ違った音楽を奏でている。
ロックだったり、バラードだったり、演歌だったり。
それぞれの音を合わせた時、綺麗な和音になるのか、不協和音になるのか。
合わせたときに心地よい音楽が奏でられれば相性が良く、耳障りな雑音なら相性が悪いのだろう。
私と夫は心地よい音楽を奏でられているのだろうか?
ぴったりと合っているとは言えないかもしれないが、何とか曲にはなっている気がする。
良く耳を澄ませていないとずれてしまいそうなので、合わせる努力は必要なのかもしれないけれど。
そう考えると、娘の奏でる音楽に合わせるのは難しい。いつか心地よい音楽を奏でられる人に出会えるといいね。
麦わら帽子
麦わら帽子、虫取りあみ、虫かご、早朝、林、クワガタ、かぶと虫、セミの声、スイカ、夏休み。
次から次に脳裏に浮かぶ懐かしい記憶。
テレビから流れてくる甲子園の応援や歓声、ヒットを打ったときの音。
それを聴きながら昼寝をするのが心地よかった。
汗をダラダラかきながら、扇風機に当たってかき氷を食べるのが最高のおやつだった。
今のように豊かでも便利でもなかったけれど、楽しかった子供の頃。
終点
終点といえば、昔飲んで帰ってくる夫を指定された駅に迎えに行ったときの事を思い出した。
乗っているはずの電車がついたが、いつになっても夫が降りてこない。心配になって駅員さんに言って、ホームのトイレまで見に行ったが夫は見当たらない。どうしたものかしばらく思案していたら、寝過ごして終点までいってしまったと電話があり、仕方なく迎えに行った。
また、別の時は東京から新幹線で帰ってきて、自宅最寄り駅で降りるつもりが、終点の仙台まで行ってしまったこともあった。
それ以来、飲んだ帰りの電車は、乗り過ごさないように細心の注意をしているらしい。酔いつぶれるまで飲むようなことはなくなった。
もっとも今は、コロナ禍で飲みに行くこともなくなったけれど。
そんな夫ともかれこれ30年、私たちの終点はどちらかが人生の最期を迎えるときか…
今はやりの卒婚?
やはり一人残されるのは寂しいので、出来れば一緒がいい。
そんな事を言うと、俺が先かよ!と言うのがいつものお決まりのやりとりだ。
上手くいかなくたっていい
人生長く生きていると上手くいく事ばかりではない。
いや、上手くいかない事のほうが多いかもしれない。
一生懸命勉強しても、思ったような成績が出ない。
あるいは不合格。
人一倍練習してもレギュラーになれない。
好きな人に思いを伝えても、誠心誠意尽くしても思いがかなわない。
子供が生まれた時、こんな子供に育って欲しいと願っても、親が思ったようには育たない。
そもそも、結婚する時はみな幸せな家庭にしたいと思うし、家を建てる時はみな幸福感に満ちている。
でも、トラブルが起こって離婚してしまう。
上手くいかなくったっていい、努力した過程が大事なんだっていう人がいるけれど、綺麗事に感じる。
努力が報われて思いが叶った方がいいに決まっている。
でも、なかなか上手くいかなくて、やっと上手くいった時の喜びは大きい。
いつも美味しいものを食べている人と、年に数回の人がいたら、同じ食事でも後者の方が悦びが大きいと思う。
それに、何かに一生懸命になったことがある人は、何も努力しなかった人、チャレンジをしなかった人より豊かな人生を送っていると思う。
だから、全部が上手くいかなくてもいい。常に一生懸命、色々なことにチャレンジし続けたい。