NoName

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2/11/2024, 5:34:09 PM

魔王と呼ばれたものが倒されて半世紀が経つ。
祝福のムードが漂うこの国で、私の長い営みもそろそろ終わりを告げようとしていた。

人でごった返す城内から抜け出し、それなりに手入れされているらしい庭のカフェスペースに腰掛ける。
ここに来るまでいくつか近隣の街を見て回ったが、壮絶な戦いの余波で倒壊した家は人の手によってより丈夫に建て直され、抉れむき出しになっていた地面には薄墨色の石畳が敷かれていた。「魔王城」というこの国屈指の観光地のため、周辺の地域は潤っているそうだ。
住人には畏怖も安堵もない。平和な日常を当然のものとして享受している。半世紀という時間は、彼のことを過去のものにしてしまったらしい。
彼が倒されて以来訪れていなかった土地に最早面影はなく、予想していた感慨も湧かなかった。

私がこの庭で育てていた花々も───戦場となった上半世紀も経っているのだから当然ではあるが───見当たらない。
庭師であった私が関われたのは庭しかなかった。己が懐かしがれるものなどもうどこにもないのだと突きつけられたようで、身の程知らずな寂しさを覚えた。

かつて私と彼だけのものだったこの場所は、今は人の幸せな気配で満ちている。こんなに賑やかだったことは記憶の限り一度もないけれど、もしかしたら彼は本当はこんな空間を望んでいたのではないかとさえ思えた。そんな人だった。

皆に見下され笑われていたみすぼらしい私に居場所を与えて下さった。魔族達を鼓舞しながら最前線で力を振るい、決して仲間を見捨てはしなかった。役たたずの私が生きることを望み、最後にはそっと逃がして下さった。
力のない同族への慈悲でしかなかったのだろうが、それでも私にとって特別だった。

親愛なる私の君。あなたに愛のひとつも伝えられなかった臆病者ですが、最期はどうか、あなたの愛したこの場所で迎えることをお許しください。どうか、今度こそ。


『この場所で』

12/16/2023, 8:48:03 AM

肌寒い空気に両手をすり合わせる。暖房の効いた学校から出たばかりの僕には十分に寒いが、今年はこれでも暖かい方らしい。毎年雪が降るこの地域だが、今年の雪は年を越してからになるだろうと聞いた。だからどうと言う訳でもないが。
大人になれば、昔は好きだったものに興味が無くなることは往々にしてある。僕にとっては雪もそのひとつだ。それを言えば、隣の彼女は眉を吊り上げて否定するのだろうけど。

「寒いねぇ」
「そうだね」
「でも息は白くならないなぁ」
「あれは空気が綺麗な時はならないからね」
「え、ほんと?」
「しらない」
聞きかじりの豆知識を披露して、いつもの道をちんたら歩いた。これだけ寒いと自転車を持ってこれば良かったかと考えてしまうが、隣の彼女は学校の通学手段に自転車を登録していないから、仕方ない。
「雪が降ったらさ、一緒に雪だるま作ろうよ」
「恥ずかしい」
「えっ、何が?私が?」
「うん」
「辛辣!」
もこもこの手袋で肩を殴られる。もこもこな上にコートを着ているので全く痛みは無い。が、大袈裟に吹き飛ばされておいた。
「じゃあかまくら作ろう!それか雪合戦!」
「…………」
「今それも恥ずかしいって思ったでしょ」
「言わなかったんだから見逃してよ」

もう、と怒ったポーズをとる彼女をいなして家路を急がせる。こんなことを言っていても、どうせこの幼馴染は約束だなんだと僕を引っ張り出すのだろうけど。僕もそれがわかっているから、安心して軽口を叩けるのだ。
ぶすくれる彼女を横目で確認して、少し緩んだ口元をマフラーで隠した。彼女が鈍くてよかった。
雪の降る日、誰よりも早く僕を誘い出す彼女を期待して、今年も僕は雪を待つ。


『雪を待つ』

12/14/2023, 8:13:50 AM

祖母が亡くなった。
亡くなる数日前から祖母の状態は伝わっていた。親戚や家族は頻繁に様子を見に行っていたらしいが、私は薄情な孫で、課題だなんだと言い訳をつけて見舞いにも行きはしなかった。
数年前から親戚の集まりに出向くのをやめ、学校を言い訳に通夜にさえ顔を出さなかった私は珍しいらしい。顔も曖昧な親戚一同への愛想笑いで頬が引き攣る。元々表情を作るのは苦手だ。
私は祖母の久方ぶりの孫で、可愛がられていた。らしい。そんな祖母の葬式だと言うのに、私は極めて冷静だった。冷めていたと言い換えてもいい。和気藹々とした親戚の会話に、私だけではないと安心していた。

控え室の隅に縮こまり、葬儀では間違っていたとしてもちっとも分からないお経を聞き流し、焼香中に腹痛で一通り苦しんだ後、祖母の亡骸に花を添えた。
美しいまま棺桶に横たわる彼女は正しく眠っているようで、箱いっぱいの花だけが、それが動かないものであるという印だった。

「会えるのはこれが最後だ」という進行役の言葉に、親戚一同が一斉に泣き出したのが印象的だった。その瞬間までしゃんとしていた祖父も、叔母も、従姉妹も泣いていた。この家に嫁入りした身である母までしゃくりあげていたのは予想外だった。
真っ赤になった弟の目に込み上げるものはあったけれど、天邪鬼な私は、恐らく終始微妙な顔をしていただろう。感情をさらけ出せるほど素直でも、完璧に取り繕えるほど大人でもなかった。
けれど、不思議なものだと思う。祖母は既に死んでいるのに、皆は祖母を惜しがるように棺を囲んだ。意識どころか命もない祖母を囲んで涙を流すのは、少し奇妙に見えた。
一連の流れを終えた今、葬式は、私たち遺されたもののためにする行為なのではないかと思う。お別れを告げて、私たちの精一杯で送り出し、天国で幸せになっただろう、なんて妄想を垂れる。遺された私たちに与えられた、故人を偲ぶための時間。
だからきっと、彼女を慕う子や孫が涙を流す光景は、彼女が注いだ愛の結果そのものなのだ。

私はやはり場違いな気がしながら、骨になった彼女に確かに与えられた愛を数えた。






自信がなくて顔を見せられなかった。可愛がってもらったから失望されたくなかった。
お見舞いくらい行っておけばよかった。ごめんね。


『愛を注いで』

12/8/2023, 4:21:14 PM

 日も落ちた、碌に人の手も入っていない山道を転がるように駆け下りる。冷たい空気が呼吸の邪魔をして、満足に息を吸うことすらできない。乾燥した空気故か恐怖故かも分からない涙が、元々悪い視界をさらに悪化させる。
それでも、木の枝に肌を引っ掻かれ、根に何度も足を取られながら必死に走った。本能的な恐怖だけが私を突き動かしていた。

 どうしてこんなことになったのか。全ては今話題のパワースポットだというこの村を訪れてから始まった。やはりこんな所に留まるべきではなかったのだ。共にここを訪れた大学の友人達は順番に姿を消し、遂には私と隣を走る友人しか居なくなってしまった。

 四方をハチャメチャに飛び回る懐中電灯の光が一瞬私の体を照らして、少し後ろを走っていた友人がバランスを崩したのが分かる。

「亜紀ッ!走って、もっと早く!」
「も、無理……」
「亜紀!」

 咄嗟に振り返った私を逃がさないと言わんばかりに懐中電灯が照らす。一瞬の逡巡の後、焦点を合わせられたことに竦み上がる体を叱咤して、遅れる彼女へと手を伸ばした。

「諦めちゃ駄目!もう少しで公道に出るから!」

 せめて電波のある所まで行くことが出来れば。最後の希望を胸に、だらりと垂れ下がった彼女の腕を強引に引きつける。
彼女は俯いていた顔を上げ、一筋涙を流した。

「ありがとう……」

 こんな時だというのに瞠目してしまった私を追い詰めるように、事態は悪化の一途を辿った。
 動揺で軸が揺らいだその瞬間、隣から伸びてきた腕が私を掴みあげ、強引に投げ捨てたのだ。彼女も別方向に引っ張られたようで、支えを失った体は容易く地面に叩きつけられた。山道を数メートル転げ落ちる。意識が遠くなった一瞬、ざわりと人の声の様なものが聞こえた気がした。

 次に何とか上半身を起こした時には既に、満身創痍の私の周囲を無数の気配が取り囲んでいた。

 眩い光に照らされて咄嗟に目を覆う。逆光で顔は見えないが、一人の人間が私の前に立ち塞がったことだけは分かった。恐怖で地面を這いながらも、その人影から目を逸らすことができない。最早逃げることも出来ない私に、それは棒のようなものを振りかぶって。
 振り下ろされる凶器だけが視界にはっきりと浮かび上がり、世界がスローモーションの様に見えた。

その瞬間。
 何故だろうか。安心した様な笑顔で涙を流した、彼女の顔を思い出した。

 「話題のパワースポット」だと言う割に人気のない村。私達を遠巻きにして決して近づこうとしない村人。村に着くなりパンクしたレンタカー。ひとりひとりと消えていく友人。村人と話を付けて来たと毎日食事を用意してくれた彼女。

────そういえば、この場所を私たちに提案したのは誰だったっけ。

 そんな疑問を最後に、私の視界はブラックアウトした。

「ごめんね。」


『ありがとう、ごめんね』

11/16/2023, 9:36:09 AM

目の前の何の変哲もないアパートの扉の奥を、途方に暮れて見つめた。
チープなインターフォンの音を聞いて、5分は経過しただろうか。ふと思い立ってドアノブに手をかけたことを、こんなにも後悔するとは思わなかった。
どうしてこんなことになったのか。私は沈黙から逃避するように最近の出来事を思い返していた。



不倫は遺伝するらしい。
あの人の父親もおじさんもそうだったらしいと義母になる予定だった人から聞いた。聞く機会なんてない方が良かったけど。

今日も粛々とスマホを見せてくる彼に、これでは何の意味もないじゃないかと当たりたくなる。履歴なんて消せばいいし、私の知らないアプリやサイトを使っていたら私には分からないのだから。
「なあ、反省したんだ。浮気なんてもう二度としない。」
それに続く言葉を受け止める気力が無くて、ぎこちなくその場を流した。

物言いたげな目をした彼は唇を噛み、短く断って今日も寝室へと籠ってしまう。それにやってしまったと思う私は、まだ彼のことが好きなのだろうか。
唇を噛むのは困った時の彼の癖で、私はいつも辞めるように諭していた。今思えばそんな時間までも優しく悲しい。視界が歪むのを止められなかった。あの頃に戻りたいのに、それを一番難しくしているのは私自身じゃないか。


「はあ?あんたはなんッにも悪くない!」
彼女がテーブルを叩いた拍子に飲みかけのグラスがそこそこ大きな音をたてて、肩を竦めた。カフェやなにかだったら避難の目を向けられていたことだろう。
そんな音など歯牙にもかけない高校時代の友人は、大袈裟に頭を抱える。
「さっさと別れた方がいいって!」
「でも仕事も辞めちゃったし、お義母さんたちにもよくして貰ってるし……あの人もね、反省してくれてるから。」
彼の親族一同に頭を下げられたのはまだ記憶に新しい。彼も彼の家族も根はとてもいい人なのだ。
「甘い!グラブジャムンより甘いわ!こんな状態のあんた放って浮気なんてろくでもないに決まってるんだから!許したくないならそれでいいの、あんたが申し訳なく思う必要なんて一ミリもない!」
「わ、なんだっけそれ。」
「インドかどっかの食べ物……じゃなくて、ねぇ!」

「あんた、猫とか興味無い?」

三食寝床つき、お腹の子の様子見ながらでもできる、猫とおまけの食の面倒見るバイト、やってみない?


そして時は現在へ。目の前の男は頭痛を抑える私など気にした様子もなく子猫に追い回されている。
「朝晩寝床つきののペットの世話、怪しいと思ったけど……」
まさかこう来るとは。そういえば友人は、高校時代から不意に突拍子もない問題を持ち込んでくることがあった。十年経った今もあの体質は健在らしい。幸いにも、彼女の人徳故かトラブルになったことはないが。
「あ、鈴木さん……ですよね、この、こいつ、なんですけど。」
どうにかしてください。と、初対面にも関わらず恥ずかしげもなく壁に張り付く男性……推定雇い主を見つめた。
へにゃりと下げられた眉からは気の弱さが醸し出され、悪人ではなさそうに見える。あの友人の紹介であるから、それはあまり心配していないが。
彼女のしてやったりという顔が浮かぶ。きっと私がどうするかも分かっての行動だったのだろう。自宅に戻ることと友人の思惑にのることを天秤にかけ、私は後ろ手に扉を閉めた。

これは私と猫と同居人の、ハートフル?ストーリーである。

『子猫』

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