'25年4月1日 はじめまして
文明の利器という言葉は今も使われているのでしょうか。
世の中に便利な物が出てくる度にそれをすぐに使うかどうか躊躇してしまうんだよね。
ポケベルからケータイ、その後スマホへ。
カタカナ文字が何を省略してるのか、それを理解するのも難しい言葉も増えてきてるよね。
私の記憶の中で一番新しいはじめましての文明の利器は『電子書籍』。
紙で印刷された本に拘っていたけれど始めてしまえばすごく便利で、今では無くてはならない存在になったね。
好きな作家さんの本や装丁が気に入ってるものは紙の本を買って、雑誌や試しに読んでみたいものは電子書籍で、と使い分けてるよ。
これから色んな新しいものが出てきても、とにかく一度試してみることにしよう。
はじめましてを恐れずに使ってみたら意外と便利な相棒になるかも知れないよね。
'25年3月31日 またね!
今まで当たり前のように会っていた人と明日からはもう会わなくなる。
そんなことが人生では何度かあるよね。
若い頃はそれでもいつかまた会えるんじゃないかと思ってたの。
大人になって長い時間が経つにつれ、もう二度と会えない可能性が高いことを知っていくのよね。
だからといってお別れの時にしんみりするのはイヤだから。
もう会えない可能性が高いとしてもゼロだとは言い切れないよね。
それぞれが自分の道を歩いて行く過程でどこかでまた交差したり横に並ぶことがあるかも知れない。
その時に気軽に声を掛けることができるように。
またね!と気軽に別れるくらいがちょうどいいと思ってるよ。
'25年3月30日 春風とともに
春になると、毎年この時期はどんな服を着てたんだろうと思うのよね。
もう分厚いコートやダウンは合わないし、薄手の羽織るものにすると朝晩寒いから中に冬物のセーターを着てしまう。
そうすると昼間気温が上がって暑くなっちゃうよね。
中に着るものも少し薄手で暑くもなく寒くもなく…。
そんな服持ってた?!
それで服屋さんに行って春物を買おうと思っても、着る期間が短いからなんとなく勿体無い気がして買わずに帰るんだよね。
でも今年の春はお祝い会や送別会が重なっていたから、人前に出ても恥ずかしくない春物を買うことにしたの。
最近見つけたお気に入りの服屋さんに行って、カジュアルだけどちゃんとして見える服が欲しい、という我が儘なお願いをしたのよね。
そうしたら自分では全く手にも取らない『ジレ』をお薦めされたの。
鏡の前で試着しても自分では正解がわからない。
でも店員さんがお薦めしてくれる服は今まで私の好みにピッタリだったから、たぶんこれも似合うはず、思い切って買うことにしたんだよね。
お祝い会当日はコーディネートしてもらった服で出掛けるのにちょうどいい暖かさだったの。
春風とともにジレが揺れて、今年一番の春を感じた日になったよ。
'25年3月29日 涙
自分の気持ちを素直に感情のまま話そうと思ったら、涙が出ることがあるよね。
涙が出てきて結局最後まで言えなかったり、途中で何を言いたかったのかわからなくなっちゃったり。
でもそれを途中で我慢せずに泣きつくしたら妙に冷静になる瞬間がやってくるんだよね。
泣きながら話してるうちに自分自身を分析し始めて1人で納得して1人で結論が出ることもある。
涙が心の中のモヤモヤとか、わだかまりを洗い流してくれるのかもしれない。
だから悲しい時や悩んでいる時は我慢せずに思いきり泣いてみるのも良いかも知れないよ。
信頼できる誰かに付き合ってもらうのもよし。
自分一人だけなら遠慮なく泣けるよね。
泣いてる自分に呆れるくらい涙を流してすっきりした後は、仕上げに面白い動画を見て思い切り笑おうね。
'25年3月28日 小さな幸せ
自分で自分の世話ができるのは当たり前のようだけど、年を重ねるうちにできなくなることもあるよね。
今は元気に歩いたり走ったりできるけど、だんだん膝が痛くなって階段の昇り降りが辛くなったり、目が悪くなってきて本を読めなくなったり。
自分の親や祖父母が病気や怪我をきっかけに一人で出掛けることができなくなったりするのを見てきたから。
大げさなことじゃなくて、例えば自分でスーパーへ行って食材を買って料理をして食べるとか、一人で電車に乗って隣町まで買い物に行くとか、本を読んだり映画を観たり、そんな小さなことができるのが幸せなんだと気づいたんだよね。
もちろん人の助けを借りたらできることもあるし、私もできるだけ手伝ってあげたんだけど。
手伝ってもらう立場の人はやっぱり遠慮しちゃうから、満足してもらえたかはわからない。
だから今は自分のことは自分で面倒を見る。
いつか誰かの助けを借りる時が来るまでは、自分でできるうちに何でもやってみたり楽しんだり、それをできるだけ長く続けられるように。