モンシロチョウ
春麗らかな日々を送ると見かけるのは虫の仲間たち
私は特に虫は嫌いでもなく特別に好きでもないのだけど
花を見ると虫を見る その虫を鳥が食す
その鳥は狐や狸に狩られる
という自然と営み、生存競争も同時に見る
でも本当に不思議な世界 いつもある世界なのに
視線を変えるだけで何かが変わる
前世はモンシロチョウと言われても
それならば青虫の時代があって
そこから蛹になり
モンシロチョウとして羽化した
最後に番に会えたのかわからないけれど
それはきっと【他の生き物の役に立てることができた】
のだと、自分は誉をもらったと思える
それはだれも信じなくてもよい
【大歓声】
忘れられない、いつまでも
自分の中で極めたものがひとつだけあった
たくさんやってきた中で、学び、遊び、運動し
多様な世界を見てその一点で
最上位と言える極めたものが
反対にはほぼ同じものがいた
ただし、行動も近いのに異なっていた
堕落、ひとつの世界しか見ないという中で
最上位「になった」と嘯いた
私の極めたモノは自分の記憶としても記録としても
ダビングから焼き直して何度でも見られる
その時のその時代のことすら気温すら正確に
一つの極みが 忘れられないいつまでも
に繋がった
その天命名刀透明の如く
何もいらない
人が欲しいものをいらないという自分はおそらく
罰が当たったのである
お金が欲しい時もあったがなにもないところからの
生活は意外と楽しかった
物が沢山欲しい時があったときもあったけど少ないことで満足することがわかった
自分は愛に飢えていたけどもらったら恩返しをする
という意味であった
そして 一人の時間が好きなことが多かった
研究するものもたくさんあったから
でも
その方はこういった
「貴女に全てをあげる、戦いもする。仕事も。その代わり
貴女が手に入るまで、自分は壊し続ける」
と。きっと、前世で罰が当たるような
そんな人間だったのだ 自分は
それでいい
それでいい その真実に挑むなら
それでいい その偽りを見破るのなら
それでいい 夢から覚めたいのなら
それでいい 何かを回避するために犠牲を払うなら
たった五文字の言の葉なのにこの不思議
自分が選んだはずなのに不条理に見える言の葉
それでいい それは本当に自分から目をそらしていない?
それでいい それは本当に自分の心から言えること?
本当に
それで
いい
?
見つけられると
シュレディンガーの猫というのは非常に有名な話である
箱を開けてみるまで猫が生きているかわからない
極めて単純に書くとこのようになる
猫が生きているならという課程を元にした前提がある上での生存説
猫が死んでいるならという課程を元にした前提がある上での死亡説
どちらにしても【開けてみるまでわからない その猫が(は)】という
最も科学的には証明されていると聞いているが
では、別の視線で観てみるとする
その場合は[自分が猫であった場合]
見つめられると から 見つめると になる
至って簡単なカラクリである
が
【どちらを 猫(である【己】)は 望むか】
となる
【猫】はどちらを 選びたいのか
それは【猫】を愛する己に委ねられる
キャッツアイとはそういう性質であるとも言える
猫の眼から 見つめられると