かすてーら

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11/18/2024, 2:56:15 PM

記憶が脳に定着するのは、大体3〜4歳頃からだと言われる。反対に、人間が死ぬのはだいたい80歳すぎが平均である。
つまり、人間の記憶というものは、ざっくり言って75年分の歴史が詰まっているということになる。
(認知症の方は、ここでは横に置いておく)

人間、それだけ生きればその分だけ、忘れたい記憶も積もっていくものである。
ただし、当然、忘れたくない記憶も募っていく。
そうして僕を紡いできた幾千幾万もの瞬間が、きっと、僕を僕のまま引っ付いて剥がさない強力な糊として機能している。

いつかの記憶の波に翻弄されて、「思い出せない」と「忘れたい」の感情の狭間に漂っている僕。人間の設計図のどこかにきっとある、想い出という名の器官。
無意識と意識を頻繁に飛び交いながら、やがて僕らのデータは色褪せ、或いは美しく変色し、引き出しの中に丁寧にしまわれてゆくのだ。
それはきっと、僕らの人生のエンドロールの中で、早送りの映画の一コマに過ぎないのだろう。

在りもしない記憶に煩悶し、うろたえる僕を置いていくようにして、時代は移り、変わってゆく。
そうして、いつか、人工知能が僕らに成り代わり、僕らのように歩き、話し、笑い、愛を叫ぶ日が来るのかもしれない。
いや、きっと来るだろう。

それでも、僕たちという灯火は絶対に消えない。いつまでも、いつまでも狂おしいほど懐かしい想い出の灯りに照らされている限り。

11/17/2024, 11:21:03 AM

冬の朝は起きられない。

それはもう、決まりきったことで、当然僕もその例に漏れない。枕に耳を欹てて、じっと、やる気の出るのを待っている。着膨れた僕を、時間外れの鴉が、デカい口を開いて嘲笑っていた。

しばらくたって、ようやく、重い瞼を擦り、恋人(布団)と悲恋の別れを遂げる。不可避で退屈な日常のため、6時に起きて、家を抜け出し、自転車に乗り込む。冬の、この時間帯特有の空気感、街をとぼとぼと歩く人々の様子を通して見える世界を鑑みるに、朝よりもむしろ夜と言った方が正しい。

冬の朝に、まだ仄暗い空を眺めていると、到底飽きることは無い。朝の空の色は、水色や鼠色の単色ということは全くなく、世界の様々な色が混じりあって、思わず拝みたくなるような神々しさを備えている。雪の日も、雲の形ひとつとってもさまざまで、今日の神様の空は、なかなか傑作だなぁ、と思わされる。

そういえば、冬になると、毎年、どこからかふつふつと創作意欲の湧いてくるのを感じる。それは、潔く晴れやかな冬の空が、僕たちをまるで、小説の登場人物の1人として登壇に招待してくれるからかもしれない。

冬の空を取り入れ、段々と、自分の中に冬が馴染んでいく。そうして冬着を重ねて、探偵ものの主人公気分で街中を歩いていると、思わぬ謎に出会うことがある。高校生の会話、店員のハンドサイン、高架橋の下の落書き。全てに何らかに意味を無理やり紐づけて生きていくのは、存外楽しい。


「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」

どこかで聞いた名言だが、アイデアが浮かばない日は、冬の空を探検してみるのも一興かもしれない。

11/17/2024, 6:50:13 AM

太陽と月は、常に流転し、昼と夜を繰り返しながら永劫の時間を紡いでいます。どっちともつかず、我らが地球は、かの双弓を巡るようにして循環を繰り返し、正しきは、愛しきはどちらか、あるいは還るべき場所をまるで持たぬと云ふかのように踊っているのです。
それは、どんなに辛い事でしやうか。何せ、彼らに、決着といふ弍文字は無いのです。亜ァ、何方が善いだろうか、いや此方の方へ。重力と、何かしらのダークマターの気紛れにより、微かなその微粒子の夢に魅せられ息絶えた生命の行く末など知る由もないのです。まさに、それは「はなればなれ」とも言うべき、宇宙の心理であり、我らが、神の刹那を慰めるための、哀しき玩具に過ぎないことを、地球自身に伝えていました。