陽葵

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5/9/2026, 12:36:18 PM

#忘れられない、いつまでも

「この人は誰だっけ…」

「お母さん、どうしたの…」

「え、どうしたってどういうこと…?」

「ううん、何にもないよ」

母が、父のことを忘れた。

半年前、突然倒れた父。
仕事先で倒れて、そのまま帰ってくることはなかった。

悲しみに暮れる私とは違い、
恐ろしくなる程に母は冷静だった。

いや、冷静じゃないと
自分を保つことができなかったんだ。

葬儀が終わると、母は抜け殻のようになった。

仏壇の前に座り、静かに泣いている。
それが最近の日常だった。

なのに、誰なんて。

怖くなって病院へ行った。
結果は何もなかった。身体は健康だった。
でも、心を守るために
悲しみをなかったことにしたかったのかもと
精神科の先生が言った。

娘の私が恥ずかしくなるくらい、でも羨ましいくらい
両親は今も愛し合っていたと思う。
そんな2人が最期の別れを告げられないまま
離れ離れになった。

父がいなくなって悲しいけれど、
父を忘れてしまった母を見る方が悲しかった。

1人でまた病院を訪れた。
母に思い出してほしい。
でも抜け殻のような母は見たくない。
「先生、私どうしたら…」

「傍にいてあげたらいいと思うよ。
 無理に思い出すのはきっと身体にも負担がかかる。
 あなたがいることがきっとお父さんを思い出す1番の
 きっかけになるんじゃないかな。
 2人が愛し合ったから、君がいるんだから。
 でも、君も自分を大切にね」

母と一緒に旅行へ行った。

駅から歩いて20分。
潮の匂いと、目の前に広がる青い海。

「見て!めっちゃ綺麗だね!」
久しぶりに来る海に、当初の目的を忘れて感動する私。

いつも絶対返事をしてくれる母からの声がない。
なんだか怖くなって母の方を振り返ると、 
静かに涙を流す母の姿があった。

「お母さん、どうしたの…」

「ごめん、私大事なこと忘れてたね…」

「…っ、お母さん…」

「私の両親、あなたのおばあちゃん、おじいちゃん
 まだ元気でしょ…?
 親を亡くす悲しみって分からなくて…。
 お父さんを亡くしたあなたに心配かけたくなくて、
 でも余計に心配かけたわね…」

「心配かけてよ…。一緒に悲しもうよ…。
 お父さんいなくなって悲しかったよ。
 でも、お父さんのこと大好きだったお母さんが
 いなくなることの方が悲しかった…」

「…っ、ごめんね…」

「ねえ、聞かせてよ。お父さんとの思い出。
 ここ初デートの場所だったんでしょ?」

「なんで知ってるのよ…」

「お父さんから散々聞いたのよ。
 お母さんがいかに可愛かったのか」

「もう、あの人は…っ」

「お母さんからの話も聞きたいな。
 私が2人の思い出全部覚えておくね」

「お父さんみたいなこと言うのね。
 いいわよ、あの人と出会った時ね…」

そう言って母は父との思い出を話し始めた。
父を思う母の顔は、娘の私が見ても素敵だった。

お母さん、あのね。
高校生の時、私お父さんとここに来たことあるんだ。
今みたいにお父さんにも思い出話してもらったの。

その時のお父さんの顔、とっても素敵だったんだ。
帰ったら、その写真見せてあげるね。

見つからないように、そっと。
恥ずかしそうに話す母の横顔を写真に残す。

2人の横顔と、潮の匂い。目の前に広がる青い海。
思い出話も、ここでの私の思い出も。
いつまでも忘れないよ。忘れられないよ。

2/2/2026, 12:58:14 PM

#勿忘草

「私ね、この花好きなんだ。 
 小さくて可愛いでしょ?」

「そうだね、君みたいだよ」

「んふふ、何キザなこと言ってるのよ…」

「…っ そんなつもりじゃ…」

「わかってるわよ。
 あなたってそういうこと言う人だって知ってるから」

「それ、褒めてるの?」

「褒めてるわよ、そういう所が大好きなのよ」



目の…前の君は…何故笑って…いるの

僕は…こんなにも…苦しいのに…

何故…僕の胸は…こんなに温かくて赤いの…

ごめん…僕が…悪かった…

君のこと…大好き…なのは…本当…だっ…


私のこと忘れないでって言ったじゃない

私という恋人がいて、何故他の女と愛しあっているのよ

でもこれで私だけのあなただわ


「速報です。マンションの一室で男女の遺体が 
 発見されました。手を繋いでいる男女の遺体には
 勿忘草の花束が握られていました。
 警察はどちらかが無理心中を図ったとみて
 捜査を進めています。」

1/26/2026, 1:26:58 PM

#ミッドナイト

明日も仕事だから早く寝ないといけない。
でも寝たら明日が来てしまう。

SNSを意味もなく開いたり、小説を読んだり、
ホットミルクを作ったり。

寝ないと次の日疲れるのは自分なのに。
寝なくたって明日は来るのに。

ギリギリまで起きて、嫌な日常から目を逸らす。

そろそろ本格的に寝ないといけない。
嫌だな、行きたくないな。

特別嫌なことがある訳ではない。
でも、行きたいとは思えない。

私にとって仕事とはそういうものだ。

ぐるぐると思考を巡らせていると、通知が1件。

“こんな時間にごめんね 明日ってか今日か笑
 仕事終わりに時間あったら会いたいな
 予定あったら電話だけでも…"

珍しい彼からのメッセージ。
仕事の前は早く寝る人なのに。

驚きつつも勢いで返信する。

"会いたい!定時で上がれるはず!てか上がる!"

送ってから気づく。私らしくない文章。
どうしよう、即レスし過ぎたかも。

"起きてると思ったよ笑 駅前集合ね
 俺も定時で上がれるよ 仕事がんばろ!"

"頑張る!頑張れる!嬉しい…!"

"うん、俺も頑張れるよ! おやすみ"

スタンプを送信して携帯を閉じる。

なんだか眠たくなってきた。 

帰ってから電話した時、疲れた声してたかな。
察してくれたのかな。
ただ会いたいって思ってくれたのかな。

なんでもいっか。嬉しいことに変わりはないから。
さっきまでのぐるぐるした気持ちが
消えていることに気づく。

暗闇に取り残されそうだった私を救ってくれた
彼からの通知。

大袈裟だって笑われるかも。
でも私にとってあなたってそういう存在なんだよ。

あなたにとってもそういう存在でいられたら嬉しいな。

心がぽかぽかしたまま目を閉じる。

今夜はいい夢が見られそう。



11/5/2025, 11:43:17 AM

#時を止めて

大好きだよ、大好き…だったよ。

どこが好きだったのか、
何で好きだったのか分からないけれど、
一緒にいる時間がとても幸せだった。

一緒に登下校して、遊びに行って、
その時間が幸せだった。

好きって言ったことはなかったね。
これからも言うことはないと思うよ。

だって、そんなこと言ったらきっと困っちゃうから。
親友だと思ってた相手から好きだと言われるなんて。

同性を好きになるのは初めてだったけど、
全然戸惑わなかったよ。

何でだろう、あなただったからかな。

不器用な私を受け止めて、助けてくれて、
そんな優しいあなたのことみんな好きになるよね。

今は、もう好きじゃないよ。

ごめん、嘘。大好きだよ。

でも、友達としてだから。本当だよ。

きっと、ううん、絶対。

この涙はおめでとうの涙だから。

うん、おめでとう。幸せになってね。

これからも親友としてよろしくね。

大丈夫、私は大丈夫だから。


これから会いたくないって思っちゃう私が嫌だな。

親友として大好きなまま、時が止まればいいのに。

そうしたらこんな気持ちにならなくて良かったのに。

ごめんね、こんな私でごめん。

今日だけ、今日だけだから。

大好きだよ、大好き…だったよ。

11/3/2025, 1:37:52 PM

#行かないでと、願ったのに

「ねえ、これ忘れてるよ!」

「あ、本当だ。ありがとう」

「もう、1番大事な物でしょ?」

「うん、そうだね」

彼は明日、この家から旅立つ。

珈琲ショップで働く彼は、自分の店を持ちたいと
海外留学を決意した。

高校から付き合い、大学卒業と共に同棲を始めた。

将来は結婚かも…と1人妄想していた私だったが、
現実に待っていたのは彼の留学だった。

大学の頃からいつかの留学の為に勉強していたのは
知っている。

でも、私が結婚に憧れていることだって
知っているでしょ…?

そんな事、言わないけど…。

何年行くかも教えられてない
留学なんて待ってられない。

明日、見送った後が最後かな…。

「あ、ねえ。大事な話があるんだけど」

彼が突然真剣な顔になった。

「何…」

「留学ね、1年間なんだ。
 1年も、てかもっとだよね。今まで待たせて
 本当にごめんなんだけど、
 帰ってきたら結婚してほしい」

「え…」

「君が隣にいてくれるから、ずっと不安だった留学に
 勇気をもって挑戦できるんだ。
 行かないでって思ってくれているんだろうなってのも
 伝わっているよ。それでも明るく送り出そうと
 してくれてありがとう。
 そういうところが大好きだよ」

「…っ。行かないでほしかった…」

「…うん」

「でも、留学夢だったのも知ってるし。
 大学のお金自分で払いながら通って、
 留学費貯めてたのも知ってる…。
 同棲のお金だって…」

「…うん」

「…でも、私との未来は考えてないと思ってた…」

「そんなことないよ。そんなふうに思わせてごめんね」

「…信じられなくてごめん」

「いいよ。それでね、結婚はしてくれる…?」

「あ、ごめん。返事してなかった…。
 それはもちろんだよ…!」

「あははっ。ありがとう。そう言ってくれてとっても
 嬉しいよ」

「私も…! 
 でも、1年経っても帰って来なかったらその時は 
 もう私いなくなるからね…!」

「…っ!うん。約束するよ。
 たった1人の女性を悲しませる人が作った珈琲なんて
 誰も笑顔にできないからね」

「…もう!
 あなたが淹れた珈琲飲むの、待ってるから」

「もちろん。ありがとう」

別れるつもりだったのに、
結婚しようと思ってくれていたなんて。

今でも行ってほしくないのは本音だけれど、
もうそれは言わないよ。

頑張るあなたをここで待っているね。

大丈夫、あなたならできるから。

私が1番知っているよ。

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