なぜ色は無くなったのだろう。よく考える。宇宙法則による絶対なのか、神さまの気まぐれか。はたまた睡眠不足の色たちが朝寝坊をして、私達のところにまだ到着しないのか。本当によく考えるのだ。答えは誰も知らない。科学も哲学も労働も説明できない。それでも私はよく考える。
世界から色が無くなって、全ては実際になった。より首の長いキリンが認められ、より口の大きいカバが認められた。比喩だ。人々の心は肥大化し、鋭く尖り、機能性を備えるようになった。分かりやすく、痛みやすく。人々は理科の実験をするように実際だけを追い求め、心の色を見ることを辞めた。最も、実験器具は片付けられずに放ったらかしのままだった。
私もいつの間にかそんな世界に染め上げられていたのだろう。君の異変に気が付けなかった。きっとまだこの世界に色があったら君はきっとものすごく顔色が悪かったと思う。でも気付けなかった。君は倒れた。泣きもせず。
いま私は彼女の(君は美しい女性だった。色がなくても。実際に)心を持っている。両手で小さく抱えている。磨り減らしていて川の下流に転がっている丸っこい石みたいだ。家に持ち帰ったらその姿かたちをデッサンしようと思う。デッサンは額縁にいれてとっておく。心はいつか磨りきれて海へ流れるかもしれない。だけどもし世界に色が戻ったら、色たちが長い夜から目覚め私達のもとにやってきたら、私は彼女の心を優しい蒼で塗る。
気付けなくてごめん。
理由なんて聞くなよ、今から君を形容しようと思うんだ。君は今だ。満ち足りてそれでいて青い。触れれば弾けてしまいそうだけど、ずっと萎まずにいる。誰かを待っているし誰かを待たせている。果実を摘みながら種を蒔いている。作曲しながら調弦をする。そんな感じだ。君は今。僕は過去。二人に未来なんて必要ない。明日になっても君は今。僕は過去。それでいい。それでいいんだ。
一緒に寝たい。
物憂げな空に浮かぶ雲が物憂げである必要について考えた。友人が言った。「いや違う、雲が物憂げを作るんだよ。物憂げな空が雲を物憂げに染め上げる訳じゃない。空は謂わばキャンバスみたいなもんだな。雲は絵の具。キャンバスに意思は在していない」「本当に?雲のない空に物憂げは無いのか」「無いね。太陽ってのは下品なんだ。あいつが出てる限り空に叙情的な形容はできない」「じゃあ星はどうだね。太陽の沈んだ物憂げな空に星の浮かんでいる、あの、えもいわれぬ物憂げはどのように説明する」「星なんて元から物憂げなもんさ」
みんないつも違う顔をしている。今まで沢山の人に会ったけれど、同じ顔の人なんていないし、同じ人の中に同じ表情を探すこともできない。優しい目をしたあの人もまばたきの間は悪魔になった。悪魔になれる。それはきっと悪いことじゃない。心の流動性なんてよく言われる。だけども少し寂しくなる。だってみんないつも違う顔をしている。もう二度とあの人の優しい表情には出会えないのか。大嫌いなあいつの大嫌いな顔を憎めないのか。寂しくなるのは少しだけだ。
昔から変わらないものが好きだった。太陽をみていた。太陽は変わらなかった。しょうもないおっさんの信念みたいに下品を煌々と巻き散らかすばかりだ。それだけで少しは心が落ち着いた。今日は朝から天気が良かった。天気の良いことの何が良いのかは分からない。太陽はやはり太陽のようだった。それはそれは下品だった。だけどずっとみていた。それでも段々変な胸騒ぎが始まって、部屋から手鏡と新聞紙を持ってきた。太陽の下品を一つに集めた。小学生ぶりだったな。新聞紙が燃えていく様はたしかに美しかった。太陽なんかよりずっと良く見えた。全部が灰になって火が虚空に逃げるとすごく悲しくなった。虚しいというよりは悲しいの方が適切だった。手鏡で自分の顔を見てみた。限りない笑みがそこにはあった。いつも違う顔をしていた。一番しょうもないのは自分だった。手鏡を置いて太陽を直視した。下品さだけが伝わってきた。
木枯らし2号は直にやってきた。息子が死に、悲しみに沈んだ老夫婦には病の影が迫り。円安の日本。そんな物語のメタファーではなしに木枯らし2号はやってきたのだ。最も、多くの人間は木枯らしに興味なんて無い。気象庁の長だって木枯らしの好きな食べ物や嫌いな色、恋愛経験や将来の夢について知っているわけではない。だから今日は彼ら(彼女ら)について知っていることを少しだけでも共有しておこうと思う。
『木枯らしに関する研究結果』
筆者は長年木枯らしについての研究を重ねてきたが先日、或る友人の仲介の下、木枯らし3号との対談が実現した。如何なる学問も論より証拠、筆者の必死の研究も当人の証言には及ばない物である。そこで本レポートでは3号との対談の一部を抜粋し註釈を加えながら掲載しようと思う。何はともあれ多くの研究課題が解消され研究が大きく進歩したことは喜ばしい限りである。また対談に関わって頂いた木枯らし3号、友人Aをはじめとした全ての関係者の方々にはこの場を借りて感謝を申し上げたい。以下対談抜粋。
―宜しくお願いします。
木枯らし3号(以下3号)「はい。宜しくお願いします」
中略
―3号はどこで生まれたのですか。
3号、得意そうに微笑む。
3号「実は木枯らしは皆同じ場所で生まれるのです。 同じ環境で生まれ、同じ環境で幼少を過ごす。 木枯らしたちは皆兄弟のようなものです。」
―では木枯らしが日本にやってくる順番というのは どのように決まるのでしょうか。
微笑みが固まる。鼻を触り真剣な眼差しになる。
3号「成人した順番というのが本来です。しかし今年 は少し勝手が違いました。」
今日はここまで 木枯らし