例えば自分の為だったとしても
いい人間になろうとすることは良いと思う
例えば自分の利益を求めてだったとしても
いい人間になろうとすることは良いと思う
自分の為に誰かに優しくしたい、とか
自分の運を貯める為に誰かに親切にしたい、とか
そういうのも悪くないと思う
自分の幸せに貪欲なことは
とても大切なことだから
結局誰かを幸せに出来る人って
自分が幸せを持っている人だから
自分が持ってる幸せが零れ落ちて
周りが幸せになっていくと思うから
こんな考え方はいけない、とか
前向きにならなきゃ、とか
世間の造ったポジティブで自分を追い詰めないで
あなたはとても強い人間だから
負の感情に支配されることは絶対にないから
つまづいて転んでも、必ず立ち上がれる
世の中に変わらないものはない
雲も風も空も、夢も時代も自分も、常に変わっていく
苦しみも悲しみも必ず終わる
後悔にも絶望にも必ず果てがあるから
今はゆっくりとその時が来るのを待つだけ
あなたとあなたの感情を否定せずに、信じて待つだけ
大人になると褒められることは極端に減る
様々なことは出来て当たり前
色々なことを知っていて当たり前
賞賛や賛同よりも
罵倒や非難が多くなる
生きていることが辛くても
僕の人生を代わりに歩んでくれる人はいない
でも僕たち大人にはひとつだけ武器がある
自分の味方に自分がなれることだ
何があっても自分を否定しない
何があっても自分を責めない
何があっても自分を卑下しない
そう決めた時から
僕は僕の一番の理解者になれる
そしてそれは
何よりも心強く
何よりも確固たるものだ
子供のままでいれない僕の心の中には
子供のままの僕がいる
僕たちはいつも自分に愛を注がなくてはいけない
僕たちはいつも自分の味方でいなくてはいけない
強く生きていくために
傷付かない方法とか怒らない訓練とか
反応しない練習とか考えない思考術とか
人間であることを止めるのはもういいんじゃない?
僕たちはどうしたって
かっこ悪くて、みっともなくて、惨めな存在で
誰かの言葉に傷付いて心を乱すし
余裕をなくして八つ当たりすることもある
助けた誰かに裏切られて絶望することもあるし
頑張っても報われなくて不貞腐れることもある
道を外してしまうこともある
でもそれが、僕が生きている証拠だから
僕たちに愛が、心がある証拠だから
ねぇ、僕たちはAIじゃないでしょ?
ねぇ、僕たちは生きているんでしょ?
まだ幼かった頃、菜の花に止まっていたモンシロチョウを捕まえたことがありました。
可愛らしい蝶々を近くで見たくて。
ただ、力加減の分からなかった僕は、その一羽の蝶々を握り潰してしまった。
僕の手にはあの時の感覚が今もずっと残っています。
ひとつの命を奪った感覚が今もずっと残っています。
それから僕が生きてきた何十年もの間に
一体どの位の命を奪って来たでしょうか。
気持ち悪いという理由で殺した芋虫がいました。
怖いという理由で殺した蜂がいました。
鬱陶しいという理由で殺した蝿がいました。
邪魔だという理由で殺した蜘蛛がいました。
ある時ふと思ったのです。
僕にこの命を奪う権利はあるのか、と。
自分が疎ましく思う存在を
それを理由に消す権利はあるのか、と。
命を奪わずに生きて行くことは不可能です。
僕たちは生きる為に食べなくてはいけないから。
ただ、目の前の生物に自分と同じ命があることを
目の前の生物が自分と同じように生きていることを
忘れないように生きて行こうと決めました。
僕のきらいなきれいごとの話ではなく
命を奪ったときに罪悪感を感じられる人間でいたいのです。
その罪悪感を常に持ち合わせている人間でいたいのです。