今日だけ許して
お願い
遠い足音
自分の「地獄耳」という特性は、長所というよりはどちらかというと短所に捉えてきた。人の多い所だと音が多くて疲れるし、聞かなくていいような内緒話でさえ耳に入るのは本当に面倒だ。
あの二人が付き合っていると気づいたのはいつだったか。こういう時にスッと年代が出なくなってしまったことに自分の歳を感じる。もちろん普段の様子から仲が良いのは分かっていたが、明らかにそれがただの友情でないと気づいたのは、少なくとも季節を三周するよりは前だろう。
今日もみんなで戯れてひとしきり騒いだ後、そのカップルの片方が吸い寄せられるようにもう片方の方へ寄り付き、その子よりもいくらか高い位置にある耳に背伸びをしながら呟いていた。
「今日家来るよね?」
「うん。行く。」
「じゃあ冷蔵庫何も無いからスーパー寄っていこ!」
二人は嬉しそうにうんうんと頷いてはそれぞれのところへ離れていった。甘い。会話の内容も二人の表情もとことん甘い。胃もたれがしそうだ。いつまで甘いんだ、お前たちは。三年以上付き合っていればそろそろ慣れるだろう。なんでずっとこの新婚バカップルみたいな雰囲気を纏っていられるんだ。
いや、それよりもなんでこんな三年以上も隠してんだよ。最初は付き合いたてだから落ち着いてから言ってくるのかなとか思いながら微笑ましく見守ってたけどさすがに遅いよ。気づいている自分はまだしも、この甘すぎる会話を知らない他の人はこの二人をどう思っているのだろうか。
「え?いまなんて…」
「だからー、付き合ってんでしょ。あの二人。だってあからさまじゃん?そこらへんの猫でも知ってるよ。」
他の人はどう思っているのか知りたくて、とりあえず目の合った奴をランチに誘い出してそれとなく二人の話題を出した。すると、当たり前のように付き合っていると分かっていて驚いた。彼は当然だと言うように顔を顰めてから、目の前のザンギを美味しそうに頬張った。確かにここのザンギは美味いが、話のインパクトが強くてこちらはあまり味がしない。まさか知っていたとは。
「…本人から聞いたのか?」
「聞いてないよ。あの子、絶対恥ずかしがるじゃん?言ってこないってことはそういうことでしょー。まぁみんなの前であんなハート飛ばしといて今更何が恥ずかしいんだよって感じだけど」
最後の一文は聞く人が聞いたら悪口にも捉えられるかもしれないが、自分たちはこれぐらいの軽口を叩き合えるぐらいの関係性だから特に何とも思わない。むしろそうだよなぁと納得させられる。
「ねぇてかなんで今更その話?まさか最近知った訳?!」
「いや、三年前からだけど…」
「三年?!おっそ!!!あの子たち六年は付き合ってるよ?!?!」
「……はぁ?!」
まさか。そんなことあるのか。六年であの甘さを持続しているなんてありえるのか。なんでいっつも新婚感があるんだよ。もう六年は中堅通り越して熟年でも良いだろ。
「あんた鈍いとは思ってたけどここまでとはね…」と半ば呆れ気味に言われた。
一人で帰る道の中で悶々と考える。耳が良い分、人の機微には敏感な方だと思っていたが、どうやら自分は鈍いと称される人間だったらしい。確かに言われてみれば地獄耳が無ければこの二人の関係性にだって気が付かなかったかもしれない。コツコツと遠くの方で聞き慣れたヒールの音がした。あぁ、来る。そうだ、地獄耳は短所ではなく、自分の足りていない部分を補うなくてはならないものだったのかもしれない。そう結論づけることができたのは、愛おしい人の足音を誰よりも早く気づくことができたから。あの二人ほどラブラブではないが、最愛のその人を振り返って迎えた。
秋の訪れ
暗くなるのが早くなったって寂しい時間が増えるだけで、それでもまだ自分がマシに見える時間が増えたから、秋って良いのか悪いのか分かんない。昼なら見向きもされないような人に、お酒+何かの力だったとしてもその日だけでも求められるという事実を嬉しく思ってしまう。その期間が伸びてクリスマスを超えるまでのつなぎになったとしても、誰かに必要とされるなら喜んでしまうのは馬鹿な女だろうか。
モノクロ
永遠なんて、ないけれど。この世界に少しだけ色を足してくれるあの子の存在がいつか無くなって色を無くしてしまうなんてことは想像したことなかったな。モノクロの世界には夜しか来ない。一人で過ごせない夜をなんとか紛らわせて、迎えたよく知るはずの朝日は知らない顔をしていた。
普段は甘党のくせに朝のコーヒーだけはブラックが良いとせっせと豆を挽くその姿を眺めていた日も、ちょっと体を引き締めたいと午前中から連れ出されたあの日も、大音量の目覚ましに起きないくせになんで起こしてくれなかったのと八つ当たりしてきた日も、ちょっとおしゃれなモーニングに行こうと誘えばしっかり早く起きてきたあの日も。当たり前に朝日はそこにあって優しく照らしてくれていたはずだったのに。
涙の理由
よく泣く人ではあったから、なんで泣いてるのって笑いながら茶化すことはしても、その理由を本気で問うことはしなかった。中学の時も高校の時もクラスが離れたというだけで今生の別れのほど泣いてくれたり、自分が失恋した時は今までにないほど泣きながら怒ってくれた。自分が泣きそうな時にはその人の涙が埋め尽くしてくれて、いつのまにか悲しい気持ちは消えて笑わせてくれる。本当に優しい人。その涙に何度も救われて乗り越えられたことがある。
自分が家族のことで悩んでいて家に帰れずに泊めてもらった時も、就職でうまくいかずに飲み明かした時も、何事もうまくいかないと嘆いて深夜に電話をかけた時も。全てを受け止めて自分の代わりに泣いてくれて、あぁこんなに自分に寄り添ってくれる人がいるならなんかもういいやって思えた。
だから、少し困惑したのだ。その人の涙の理由は自分の涙の理由であって、全てを分かち合っていると思っていたのに、急にその人が泣き出したから。でもそこでやっと気づいた。自分が関係していないその人自身の涙を知らないことを。きっと自分のように些細なことで悩み、人知れず涙を流すことだってあったはず。自分が代わりに流してあげることができなかった涙を一人で請け負っていた夜があったのかもしれない。自分はその理由を知らず、これからも知れずにいるかもしれない。
でも、やっと気づいた。長年の想いを伝えてくれたその人はずっと泣きそうで、それでも堪えてまっすぐに伝えてくれた。その涙を分け合うのは自分でありたい。自分が代わりに泣いてあげて、なんでそっちがそんなに泣くのと笑わせてあげたいから、その人の誘いに泣きながら頷いた。