幸いなことに、これまでの人生では、あまり病室のお世話にならなかった。
ただ、1度だけ検査入院を経験したことがある。
いわゆる指定難病というやつの疑いが掛かり、5日程度、毎朝毎晩採血を受けなければいけなかった。
ところで私は、血管が異様に出づらい体質だ。
看護師泣かせの細っこい血管が、さらにタチの悪いことに、分厚い脂肪に守られて、すっかり見えない。この時の入院でも、当然それは変わらなかった。
運の悪い新人の看護師さんが、心底申し訳なさそうに何度も血管を探していたのを覚えている。刺してはうまく取れず、また刺し直しては取れずと繰り返す。救援に呼ばれた、ベテランの風格をした看護師さんも、1度間違えてからさらなる救援を呼んだ。
最終的に、私の血管に正確に針を刺せたのは、3人目の看護師さんだけであった。
ちょっとばかり誤解を招きそうな見た目になった腕を眺め、看護師とはかくも有難い仕事だと思った。
私の難攻不落の血管に挑んでくれた彼女たち。差し入れなんていうのは、このご時世じゃ中々できない。
せめてもの感謝の気持ちは、この立派に育った脂肪を減らすことでその代わりとしたい。
別れた彼のLINEが、ずっと1番上にピン留めされている。
別れ話をされたあと、「また親友でいようね」なんて、漫画みたいに強がったセリフを言った。
いや、正確には随分ごねてからようやく言った。言いたくなかったし、強がりたくもなかった。それでも、帰ってしまおうとする彼になんとかハッキリした返事をしたくて、結論を急いで絞り出した。
まだ、彼のLINEをすぐに見える場所に留めてある。
未練たらたらだ。当然だ。初めて人生で好きになった人だった。この人と未来を描きたいと毎日浮かれていたのに、突然地面に叩きつけられたみたいな、呆然とした記憶。今からでもどうにかして戻りたい。
別れた後に届いた、たった1件のLINEに、私は返事をできないでいる。
笑い話にしたかったんだろう、帰り道で定期を忘れた話をしてくれた。優しい人だから、私を振ったって悲しませたくはなかったのだと思う。
でも、返事をしたら、本当に親友になってしまう。
向かい合ってしょうもない話をしていた、それで十二分に楽しかったあの頃に戻ってしまう。
たぶん、一生、返事はできない。
目が覚めると、泣きたくなる。また一日が始まってしまったんだと、起きてしまったことを後悔する。
ここ最近、ずっとそうだ。泣きながら目が覚めて、吐きそうになりながら仕事の準備。
事業所に行って、「障害者がやりました、すごいでしょ」みたいな、健常者ウケするための作品づくり。
こんなことのために手先が器用になった訳じゃなくて、もっとふつうに、子供のためにお弁当をつくるとか、旦那さんのために破けた服を繕うとか、そんなことに使いたかった器用さ。それを、欲しくもないブランディングに使い果たす。
週に2日だけの少ない仕事がつらい。副業で始めた絵の仕事も、依頼が来なければ閑古鳥のスケッチが溜まっていくばかり。それすら、破いて捨てることもある。
小さな頃思い浮かべた、立派な自分の肖像に、毎日毎日土下座して、泣き腫らして、謝り続けてから、一日が始まる。
地獄にも朝がある。
ただただ、地獄が続くだけの朝。
明日は目覚めませんように。