秋の風揺れるススキに猫が飛ぶ
飛べない翼
もし、背中に飛べない翼がついていたら、
どう使おうか考えてみる。
はじめに浮かんだのは洗濯物を干す。
飛べないとしても動かせたとしたら風をおこして乾きが良くなるかもしれない。
ただ、長時間洗濯物を背中に下げるのはカッコ悪い。
次に、ちょっと座りたい時に翼をお尻の下に敷くというのはどうだろう。羽根がクッションになるし、服も汚れない。
ただ、翼が長めじゃないといけない。あと翼が黒なら汚れも目立たないが、もし白かったら服の汚れ以上に気になる。
自転車でスーパーに買い物に行った時、うっかり前カゴに乗り切らないくらい買いこんでしまった上に、トイレットペーパーまで買ってしまった時、翼に買い物袋をぶら下げるというのはなかなかいい。ハンドルを握って両手が塞がっていても翼に荷物を下げていれば安全だ。
ただ、荷物を引っ掛けるためのS字フックか何かを翼につけておかなければならない。ちょっとダサい。
ここまで考えたけど、なんだかどれもイマイチだ。
実は本当に使いたいことがひとつある。
この翼で君を抱きしめてみたい。
面と向かって抱きしめる勇気がないボクは、背中を向いたままで君を抱きしめることができる。
飛べないけど動かせて、君を包めるくらい長い翼。
色はできれば白がいい。なければ黒でもいい。
君を抱きしめた時、カランとS字フックが落ちる音がしても、ボクは背中を向けているので君の表情は見えない。
そんな飛べない翼なら、ぼくは今すぐにでも欲しい。
ススキの記憶をを辿っていたら
断片的な記憶の中にススキ野原のような景色が浮かんだ。
昔、見た景色。となりには亡夫がいた。
あの場所はどこだった?
たしか、奈良のどこかにある高原だ。
検索をかける。奈良、高原、ススキ。
曽爾高原。
すっかり忘れていたことを思い出した。
夫と一緒にススキを見に行ったのだ。
どうして忘れていたのだろう。けれど、思い出せたことが嬉しかった。
わたしにはもう夫との新しい思い出を作ることができないから、忘れていたことで新しい思い出が増えたような気持ちになった。
風に揺れるススキが夫とわたしの思い出を呼び覚ましてくれた。
意味がないと思っていたことが
後々意味を成すこともあると思う。
コツコツ続けてみたいるものの中々結果が出ないことは日常茶飯事で、なんかこんなことやってて意味あるんかな…って思ったことは何度もあった。 正直今でもそうだ。
でも、この前ついに報われる出来事があった。
憧れの方に自分の名前を認識してもらえていたのだ。
震えた。
いつか、憧れの人と一緒に仕事がしたい。
まだまだ遠い夢だけど、絶対叶える。
恥ずかしながら、「哀愁をそそる」という言葉をはじめて聞きました。
哀愁ただよう
哀愁を帯びている
哀愁がある
などは使ったことがありますが「哀愁をそそる」は初体験です。
そそる…
あくまで、あくまで個人的な感想ですが、そそるという言葉にはどちらかというとポジティブなイメージがあります。
例えば、「食欲をそそる」というような。
哀愁という言葉にはさみしさや切なさがまとう。
哀愁にそそられる…というのはどういった状況なのだろう。
哀愁というのはもっとじんわりと沁みてくるもののような気がする。
少し考えすぎかな。
日本語はむずかしいですね。