「『ごめん』よりさ、『ありがとう』の方が嬉しいんだ」
私のヒーローだった人に、そう言われたことが今も忘れられない。
あの時の私は自分に全然自信がなくて、何かある度にすぐ謝っていた。
「あ、すみません」「ごめん…」「私のせいで、ごめんなさい」
こんなのが口癖だった。
そんな私だったから、あの日泣いていた私を助けてくれた人にも、感謝より先に謝罪の言葉が出た。
そうしたら、その言葉を言われた。
だから、こう返した。
「ありがとう、ごめんね。」
そしたらツッコまれた。まだ謝っちゃってるよーって。それでお互いに笑いあって、そこからくだらない話を何個か交わした。その後、涙も乾いた頃に一緒に帰ったっけな。本当に楽しかったな。
あの頃の何処までが本当で、何処からが妄想だったのか。境界線はあの日から今までずーっとあいまいだけど、ぜんぶそのまま信じておこう。
だって、その日から感謝の大切さに気づけたんだもの。仮に存在しない記憶だとしても、自分のためになるなら消す必要なんてないよね。
何の変哲もない部屋の片隅をじーっと見つめるような時って、どんな時?少なくともいつもの時じゃ無い。
ぼーっとしてる時は、ぼんやり見える。
現実逃避してる時は、くっきり見える。
泣いている時は、滲んで見える。
腹を立てている時は、馬鹿にしているように見える。
寂しい時は、いつもより広く見える。
恋してる時は、そっけなく見える。
失恋した時は、涙を誘うように見える。
楽しい時は、何だか惨めに見える。
他にも色々あるだろう。私が知らないだけで。
これまでは私の主観だし、ここからも私の主観だ。
部屋の片隅ってものは、見る度に
「片隅」って言葉が頭から離れなくなるんだ。
それで、「片隅」って言葉は何だかちっぽけな、ネガティブな印象が強いから、
そのうち「片隅」が嫌になってくるんだ。
そうしたら、部屋の片隅は、勝手に私に嫌われる。
でも大丈夫、壁なんて蹴らないよ。
目に見える世界がぜんぶ逆さまで、
頭に血が上り、なんだか眩暈がしている。地面との距離感が掴めない、ふわふわする、この感覚はいつぶりだろうか?
間もなくナマケモノみたいに伸ばしていた腕が痛くなって、鉄棒を離す。
小学生の頃、逆上がりができなくて不貞腐れていた私は,練習を放棄して、1人でこの遊びをよくやっていた。
反転した世界には、クラスメイトの笑いはしゃぐ声が宇宙人の声みたいに観えた。みんなそこにいるのに、私だけしかいない世界のようだった。こんな気分に浸れるのは、世界でただ一人私だけだと思って,なんだか誇らしくなった。それで、可能ならその逆さまの世界に行ってみたかった。
そんなことを回想した、そんなのは、実際は私だけの感情ではなく、ありふれた年相応の感情だったけど。
全く意味のなかった行為だった。
そんな無駄なことしてないで、大人しく逆上がりの練習を続けていれば、体育の授業でもっといい成績がとれて、自信もついたのにな。
今だって全く意味のない行為をしている。
そんな無駄なことしてないで、 …
そう頭の中でつぶやきかけて、途中で嫌になってやめた。
花畑
意図的に花畑にされるような花はずるいと思う。
そういうのはただ普通に生えてるだけで、初対面の人の心に残る存在になるから。
人間はただ普通に生きてても知らない人にプラスの影響なんて与えない。
なんなら、他人のために尽くしたって、結局逆効果なことだって多々ある。つくづく嫌になる。
ただの花のくせに、見るとなんだかこっちが見下されてるような気がする。
腹の中全て見透かされて、花なんかに軽蔑されてる。
そりゃそうか、花は気を使うことなんてないもんな。
いいよな。
そういうわけで人工的な花畑は苦手。
月ごとのカレンダー、頭をよぎるのは月の最終日。
めくるということは,認めるということ。
あーあめくっちゃった。
先月もなにも進展なかったな。