「私の名前」
私の名前は谷折ジュゴンです
この名前はペンネームです
「読みやすい文章が書けること」を目指して
アプリ「書く習慣」を始めました
私が今までこのアプリで書いた作品は創作や詩です
基本、私が好きなジャンルを書いています
気に入ってくださる作品があれば
とっても嬉しいです
これからも、気ままに投稿していきますので
よろしくお願いします
「視線の先には」
予備動作としてふみふみと動く前足、激しく振られる尻尾。まん丸に開いた瞳孔。茶トラの野良猫の視線の先には、羽繕いしている1羽のスズメ。
狙いを定めた野良猫は、身体を伏せる。音を立てず素早く近づき、一呼吸置いて、一気にスズメへ躍りかかる。だが、スズメとて易々と狩られる程、鈍くはない。華麗に野良猫の奇襲をかわし、追撃を与えんと高く跳躍した野良猫の両前足から、見事に青空へと逃げ切った。
着地した野良猫は、スズメが飛んで行った方向を見上げ悔しげに尻尾を振り回していた。やがて、何事もなかったかのように、野良猫はその場で横たわる。そして、いつもの平穏が訪れたのであった。
「私だけ」
漢文の書き下し文みたいな表現がなんか好きだ。
なおかつ、的確な言葉選びだとより良い。
現代文に上手く組み込まれていると
「うわぁ、好き……」ってなる。
そして、私の文章と見比べて
私のはまだまだ足元にも及ばないなと思う。
その上で内容をしっかりと味わう。
これが私だけの嗜好。私だけの読書の習慣。
創作「遠い日の記憶」
自分だけが覚えていて、周りの人が覚えていない。
あるいは周りの人だけが覚えていて、自分だけが覚えていない。
そういった記憶は、果たして「本当の記憶」と言えるのだろうか。
あれはまだ、僕が小学生の頃だった。僕には夏にだけ現れるお友だちがいた。華奢な体に顎の辺りで切り揃えられた黒髪。同い年ぐらいで、背丈も同じ。いつも花の模様のワンピースを着ていて、笑うと消えてしまいそうな儚い印象を抱かせる少女。
名前はもう覚えていない。だが両親が言うには、夏になると僕は、ことあるごとにその少女の名前を口にしていたらしい。
「○○ちゃんと遊んでくる!」
そう言って山や海へ駆けて行ったそうだ。そして、どのような子なのか気になった両親がいくら会わせて欲しいと頼んでも、僕は決してその少女を家には連れて来ることはなかったようだ。
連休のある日、実家のタンスの中から見覚えの無い写真が一枚出てきた。日付は僕が小学生だった頃の夏休みだ。そこには、例のお友だちと僕が玄関前に一緒に並んで微笑んでいる姿が映っていた。
この写真は何だと、両親に尋ねると小学校の夏休みの終わりに一緒に撮ったよと、さも当たり前かのように言うのだった。
そして写真の裏には、母親の字で少女の名前と僕の名前が書き込んであった。
「○○ちゃん……」
何年ぶりかに呼んだ名前は、不思議と僕の口に馴染んでいた。だが、この写真を撮った記憶はいくら思い出そうとしても、切れ端すら出て来なかった。
夏にだけ現れるお友だち。彼女が本当に存在したのかどうか、僕も両親もよく覚えていない。もしかすると、僕も両親もこの一枚の写真によって記憶を改変されているのかもしれない。
(終)
創作「手を取り合って」
買い物へ出かけた時、店内を歩き疲れた私はベンチで休んでいた。すると、休憩所へ二人の子どもとその母親らしい人が入ってきたのだった。
5歳か6歳ぐらいの子が、私の側にある自販機に走って来て迷い無くジュースを選んで買う。そして、大事そうに抱え母親の元へ走って帰る。私はその様子を見とどけ、お茶を一口飲んだ。
「キャップぐらい自分で開けなさい!いつも自分で開けられるでしょ?」
不意に聞こえた怒気を含んだ女性の声に、私は思わず親子を見た。さっき自販機に来た子が母親にジュースを押し付けている。どうやら蓋が固くて開けられないらしい。
しかし、母親はぐずっている小さい子どもをあやすのに手一杯のようであった。だが、上の子は早くジュースが飲みたいらしく、怒ったようにペットボトルを押し付け続けている。ようやく小さい子が落ち着き、母親は子どもが差し出すペットボトルを手に取った。キャップは難なく開き、母親は子どもへ返そうとした。
だが、子どもは首をふって「どうぞ」と言うだけでペットボトルを受け取らない。
「ああ、なら、お母さんが飲むよ?」
「うん」
「良いの?本当に飲むよ?」
「いいよ、だって前にお母さんもこれ好きって言ってたもん」
母親は虚を突かれたように固まる。子どもはじっと母親を見ていた。
「……なら、始めっからそう言いなさい」
嬉しさ半分驚き半分と言った様子で、母親は子どもから受け取ったジュースを飲む。子どもは照れたように体を揺らしていた。
「ジュース、買って来てくれてありがとうね」
そう言いながら母親は子どもたちと手を取り合って
休憩所を後にしたのだった。
(終)