昔日公開された、ある作品の主人公二人の誕生日には今でも制作会社宛にたくさんの贈り物が届くそうだ。物語の中では辛い出来事もあったし、彼等の結末について今でも人によって評価がかなり分かれているのは知っている。それでも私は各々の信ずるものを貫き合った故で迎えたあの最終話を、それを目の当たりにした時に感じた余韻を今でも忘れない。
大好きな君たちへ。生まれてきてくれてありがとう。色々あったと思うけど、こちらの世界では本当にたくさんの人が君らの生まれた日を祝福しているんだよ。
チョコレートを一通り味わいつくしたところで、どことなく春めいてきた三月の始まり。ここのところ買い込んでいた桜色のパッケージのお菓子は、せっせと我が家のお雛さまにお供えしている。気がつけば今日までにずいぶん賑やかになったものだ。ひなまつりが終わっても、お楽しみはもう少し続く。
たった一つの希望、なんて難しい話だな。あれはああなってほしい、それはそうなってほしいって色々目移りしながらもなにかしらアクションし続けてることが生きてるってことだと思うので。
気になった全ての本、漫画、映画、ドラマ、アニメ、ゲーム、音楽といったいわゆる娯楽を、どの作品も分け隔てなく十分に味わい尽くしたいところなんだけども、時間は有限だ。目は労った方がいいと、最近特に痛感する。
死というものをまだよく理解していない頃に亡くなった祖父のことは、いなくなって寂しい、というよりも知らない遠くの街へ行ったままいつまでも帰ってこないなあ、という認識のままでいる。なんだか薄情な孫でごめんなさい。でも、もし故人と誰か一人話せるとしたら、今のところは真っ先にあなたの名前を出すと思う。自室でたくさんの本とクラシック音楽のCDに囲まれていた姿は小さい私にとってはちょっと取っつきにくかったのだけど、今の私にはそんなあなたに聞いてみたいことがたくさんあるのです。