好きな人に彼女がいた。
それを今になって知った。
もう付き合って3ヶ月目になるらしかった。
相手は私の友達だった。
あの子が始業式に告白したらしい。
それを彼が了承したのだそうだ。
私も、あの子も、彼も、元々男女混合のグループでつるんでいた。友人関係を築いてたから盲点だった。まさかあの子が彼を好きになるとは思ってもいなかった。
仕方がない。
あの子に非はない。
なんせ私は誰にも話していなかったから。
あの子はただ私が彼を好きなことを知らずに、自分の気持ちを伝えただけだ。私は彼が好きなことに自信が持てなくて、あの子のように告白する勇気を持ち合わせてなかった。だから、私じゃなくてあの子が選ばれた。だけど、だけど。なんで。なんで、よりにもよって彼なんだ。なんで、よりにもよって。しかもなんでOKなんて答えたんだ。あの子が彼と付き合うなんて、ああ、私はどうすればいい。この想いは墓に持っていくしかないのだろうのか?そうだ。きっとそうするしかない。知ればあの子が傷つくかもしれない。私は彼と同じくらいあの子に幸せになって欲しい。ダメだ。もう誰にも言えない。
吐けば楽になると聞いて、便器の前でムカムカする胃を押さえた。吐き方を知らなかったから、馬鹿みたいにせぐり上げてくる胃液が口から出せなくて、吐くことを諦めた。
どうして彼は了承したんだろ、私にもチャンスはあったのかな。なかったのかな。分からない。彼はもう、あの子の彼氏だ。私にはもう確かめるすべがない。いや、あったとしても、私はあの子と彼の平穏を奪い去ってまで私の平穏が欲しいわけではないのだ。
苦しい。
やっぱり、すぐに告白するべきだった。好きだ、とたった一言だけ言えば良かった。そんな後悔が襲った。悔しくて悔しくてその日は泣いた。誰にも打ち明けてなかったから誰にも話せなかった。あの子のことが嫌いになって、あの子を嫌う私のことが世界で1番嫌いになった。枕で声を押し殺した。頭が冷えても涙は勝手に出て、自分でもなんで泣いてるのか分からなくなって、嗚咽が止まらなくて、早く寝てしまえとベットにしがみついて、翌朝誰よりも早く起きて、目を冷やして、学校で彼といつも通りに挨拶をして、彼の隣のあの子を見て、帰って、私の部屋で、また息を殺して泣いた、夜。
2024 1/21(日) 3『特別な夜』
「海の底って、きっと優しいよね」
「そうだといいな」
「鯨の骨とか見たいな。すごくおっきいの」
「あったらな」
「ね、一緒に見に行かない?」
隣のヤツが突然ドライブに誘ったかと思えば、急にそんな話を振った。本当に突発だったが話を聞く分には面白そうなので、車を出した。
「うん、そこで止まって」
水族館か博物館に行って古びた骨の展示を見るかと思えば、ヤツは少し遠くの、海が見える展望台を所望した。
潮風で錆びついた手すりに趣きがある。
シーズンが過ぎ、人の影も見えない。
当たり前だ。
海を堪能するには寒すぎた。
「寒いね」
「嗚呼」
風が強い。
音も物凄い。
しかしヤツの声はよく聞こえた。
「…ここで心中しようだなんて、駄目かな」
海風が皮膚を刺す。
夏はもう終わるらしい。
やけに長く伸びた影を見て地軸が23.4℃傾いていることを思い知った。
「………………駄目だろ」
「えー」
「駄目だ」
「ほんと?」
「なんだって、急に…」
「え、疲れちゃった?から、」
だから、と言葉少なになって俯く。
ヤツが俺を誘う時は大体なにかに追い詰められているときだ。
表情もぎこちない上、視線が虚ろになる。
「…なにに」
「なんだろ、わかんない、もうなんか全部。全部やんなっちゃった」
たくさんの人に心を砕いて接するからその分精神的負担が大きいらしい。らしい、というのは本人から直接聞いたことがないからだ。このように具体的に発露されることはこれまでに無かった。
「……………」
「…鯨はね、死んだら海の底に沈んでって、みんなに食べられるんだって。私は海の底まで沈んでって、鯨の肋骨の間に引っかかって、鯨みたいにみんなに食べられて、役に立つの」
「………馬鹿か、おまえ」
「うん、そうなりたい…」
「…………」
「ね、いいでしょ。一緒に行かない?」
「………………………何故、俺が」
「君、言うこと断らないでしょ。だから、私のこと好きなのかなって。今まで迷惑かけちゃってたりしてたから、最後くらいなんかあげなきゃなって」
「は」
「だって、どうせ死ぬならあげてもいいかなって、そのくらいには好ましく思ってるんだよ、君のこと。」
「…それで心中か」
「うん」
それで。
それで、俺と心中しようと言うのか。
全て知った上で。利用して。
「今、この海の底に、鯨がいるのかも分からんぞ」
それほどなら、とヤツが必死になっている鯨について言ってやった。つい、カッとなった。
「あ。」
ヤツは弾かれたように伏せていた顔を上げた。
あどけない声だった。
赤ペンでバツをつけられた子供のようだった。
それが酷く恐ろしかった。
「そっか、」
「そうだった、」
「分かんないんだ、」
「忘れてた、」
噛み締めるように呟いて、がらんどうの瞳をゆっくりとこちらに向けた。
「………………………帰ろ。」
「……嗚呼、」
これ程まで、人が海底に無知で良かったと思う日は無かった。
海底の暗闇まで人類が把握していたら、コイツはクジラのいる海底に喜んで沈んでいく。そんな予感がした。
海の底なんて、岩と漂流物だらけで、高い水圧で細胞が圧縮される。そうしてできた死体など酷いものだ。
海の底は、肺呼吸するしか脳のない人類に優しくなどない。
それを伝えたってヤツは執着するのだろう。
それで、俺に行きずりの旅を持ちかけるのだろう。
「馬鹿だ、本当に…」
運転席の窓を少し開けた。
風は生ぬるかった。
陸風だった。
いつの間にか凪の刻が終わり、陸から海へと穏やかな風が吹いていた。夜だ。憎たらしいくらいに空は晴れ渡っており、星がよく見えた。
「はぁ、」
旅を持ちかけたら、どうしよう。
なんせ、俺は断れない。
「…海底探査の完遂は、100年後にしてもらうかな」
それまでに、ヤツも、俺も、海の底へ行く前にくたばっているはずだ。
助手席ではヤツが寝息を立てている。
それを起こさないように、速度を緩やかに落とした。
2024 1/20(土) 2 「海の底」
タイムラインでいつも投稿が流れていた。
日常生活や好きな趣味について呟くアカウントだった。
同じ趣味を持っていた私はsnsを始めてあまり長くなかったから、フォローと、気に入ったつぶやきにいいねだけをして、そのアカウントとはそれだけだった。
多忙になり、snsに全く手をつけない時期が続いた。
そのアカウントのことだって忘れていた。
久しく時間が取れた時、ふとsnsのアプリが目についた。アプリのアイコンが変わったことだって分からなかった。
そういえばどんな投稿をしてたかな、とアプリを開いた。
タイムラインに軽く目を通し、自分のホームへと移動する。私の投稿は本当に少ないもので、たぶん200も無かった。だから、昔のことを懐かしみながら読んでもそんなに時間は経たなかった。
続けていいね欄を見た。
すると記憶にあるよりも少ない投稿に違和感を覚えた。何故だろう、と戸惑いながらもいいね欄も全て見終えた。
そういえば、彼らは今どうしているだろう、とフォローをしているアカウントを見ようとした。
アイコンの左下に表示されるフォローの数が減っていた。
「あれ、」
動揺を隠せなかった。
フォローしたアカウントの数が多いわけではないから、数はきっちり覚えていた。16個だ。16。なのに表示は15フォローになっている。
画面を指でなぞる。
登録したアカウントを上から順に辿っていく。
好きなアーティストやコスメのアカウントは残ったままであるものの、その中に混じっていたはずのあのアカウントがなかった。
「嘘。」
あのアカウントは1日に何回か呟き、かなり熱心に投稿していた。フォローのところで流れた投稿がまたタイムラインで流れる、なんてザラだった。バイトを頑張って趣味に当てているとか。資格勉強が難しいとか。
私も資格に向けての勉強が辛い時、画面の向こうでどこかの誰かが頑張っていることを励みにしていたのだ。
それすらも、なかった。
なにも。
あのアカウントの痕跡は残っていなかった。
「え?」
知っているアカウントが消えた。
それだけだ。
だけど、見慣れたアカウントが忽然と消えたのは、初めてだった。まるで友達が知らないうちに転校して行ったようだった。
私だって、snsが個人の自由で使われていて、アカウントを消すことだなんて、その人がその気になればいつでもできることだと理解している。それでも、あのアカウントは今どうしているのだろう、もしかしたら復帰したりして、と。アプリを開いてあの膨大な数のタイムラインに流れてないか、ゆっくりスクロールして探してしまうのだ。
2024 1/20(土) 1『君に会いたくて』