空白む雨

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3/31/2026, 2:11:25 PM

幸せに

 朝に目を覚ますと、もう彼はいなかった。
 きっとあいつのところへいったのだろう。
 ゆっくりと体を起こし、洗面所へと向かう。
 彼らは、二人で一つの『人』。
 先月の彼なんて生きているのか死んでいるのか判別できやしなかった。
 適当に歯を磨きながら、水を入れた薬缶を火にかける。
 ぐしゃぐしゃになった彼らを連れて『私』の部屋へと連れて行き、無言でコーヒーを飲んだ。
――そういえば、あの夜飲んだコーヒー豆はこれだったな。
 口をゆすぎながら、思い出し笑いをした。
 キッチンに戻り、ミルで豆を挽く。
 豆が粉に変わる瞬間は毎朝しているルーティンの中で最も好きなことだ。
「はてさて、どんな会話をしてることやら」
 挽いてる途中で沸いたお湯をマグカップへと注ぐ。
「再会の歓喜か、開口から後悔の言い合いか」
 唇に孤を描きながら、カップの湯を捨てる。
「それとも、置き土産をした失態を知るか」
 コーヒーフィルターに豆を入れ、湯を注ぐ。
 いつもは丁寧に淹れるが、今日は別だった。
「残念だったなぁ」
 適当にじゃばじゃば入れた黒い飲み物は、カップの周りを汚していた。
「私が共に死ななかったのだから」
 ガシャンとドリッパーを流しに雑に投げ込む。
 中から粉が溢れ出る。
 『私』は一瞥もくれず、ポケットに入っていた薬を取り出し、後ろのゴミ箱へとぶん投げる。
「誰が、手前らと死ぬかっ! 死ぬ時なんざ、どうせ独りなんだよっ!」
 苛立たしげにマグカップを持つ。溢れたコーヒーが服へとしたたる。
「お似合いの双子だったなぁ。あいつ等だけで死ねばよかったんだよ、似たもの同士ども」
 グビっと酒を煽るように、熱いコーヒーを飲んだ。

「あの世でとうぞお幸せに!!」

3/30/2026, 11:39:10 AM

 花屍は言葉を発するのが難しい。
 身体の問題というより、精神の問題だろう。
 過去の辛い出来事から、途切れ途切れの言の葉を紡ぐのが精一杯だ。
 周りの人間は大概が眉を潜め、咎めることも多い。
「この子は、まともに話すのが出来ないのか」
「もっとスパスパ話しなさい。男として恥ずかしい」
 彼らは時に善意を、悪意を持って花屍に浴びせる。
 彼は必死に迷惑をかけぬようにとこころがけている。だが、周りは傷など忘れて大人になりなさい。皆のように成長なさいと諭す。
 
 傷つける側は正義というある種の毒薬を浴びせる。
 花屍にとって言葉を紡ぐのはもはや拷問に等しい行為と成り果て手しまった。

 花屍の異変にいち早く気づいたのは従者だった。
 彼が言葉をひと言も紡ぐことなく、一日を過ごす日々が増えつつあったからだ。
 何があったのかを聞いても最初は答えることはなく、従者の問いに曖昧な微笑みをするだけだった。
 当然だ。
 自分の話し方に従者にあの表情されるのは恐怖以外にない。
 従者も一度は聞くのを諦めた。少し観察すれば、花屍の異変の理由に気づく。
 だからか、側によくいるようになった。
 すぐに気づくように。
 
 それと主である花屍に惚れているのだから。
 少しでもその声が聞きたい。

3/29/2026, 12:58:53 PM

 どうしても、どうしても、どうしても
 貴方と共に逝きたいのです。
 ねえ、どうかお願い。
 たった一度の我儘を許して。

3/29/2026, 8:57:27 AM

 何かが見ている。
 少年が感じたのは、心に余裕が出できたからだろうか。 

 閉ざしていた瞼をゆっくり開くと、視界に入ったのは格子状の何かだった。
「……ここ、は……」
 妙な気怠さと重さを感じながらゆっくりと身体を起こした。
 その途端、じゃらじゃらと言う金属が擦れ合う音が耳に入る。見ると両手首と足首に枷のようなものががっちりと嵌められており、彼の動きを封じる。
「……」
 牢の外に吊るされている薄ぼんやりした明かりを頼りに見ると、枷に鍵穴はなく、少年のほっそりした手首や足首にまるで絡みつくように拘束していた。
――これは、外せない。
 暫く手枷をいじっていたが、やがて諦めたように着物の上に落とした。
――あれ、これ、僕が着ていたもの、じゃない。
 少し触れると、肌触りがいやにいい。色は白く、内側には赤い着物が見えた。
「……これ、まるで、白無垢の、よう、な……?」
 少年はぼんやりとした頭で考える。目が覚めたときから感じていた重さの正体はどうやら枷と着物のようだ。
 少し落ち着いたのか、彼は胸のあたりに両手を重ねて握る。
――ど、すれば、ここ、から、脱出、を、できるか、考えない、と。
 少年は冷静に考えようとした。
 
 だからこそ異変に気づいたのかもしれない。

 格子から自分を見ている何かに。

「……ひっ…っ」
 少年の喉から引きつったような声が漏れた。
 『それ』には、目の機関はない。だが彼は、自分を見ていると認識した。
 証拠に『それ』は的確に少年に触手を伸ばしていた。ぬめねめとした蛸の様な手は格子の近くにいた彼を絡め取らんばかりに、数本、別々から攻めようとしている。
(……花……屍……)
――どう、して、僕、の、名前、を。
 怯えきってしまった少年の頭の中に突如として『それ』から呼ばれた名前に花屍は反応した。
「……あ、あ、なた、は、だぁれ?」
 言いながらも彼はずりずりと後ろへと下がる。白無垢と枷のせいでうまく立ち上がれないのだ。その間も蛸のような触手は液を垂らしながら、花屍を捕らえようと伸ばしてくる。
 『それ』は花屍からよく見えない。座敷牢の明かりはいつの間にか消されていた。
――た、ぶん、誰か、が、消し、たんだ。
 今の状況は誰かに仕組まれたものなのだろう。さっき一瞬だけ上から感じた視線。あれは人間のものだった。  それに気をとられたために接近を許してしまったのだ。
 花屍は噂で聞いていた。ある伯爵家には美しい人間を時折欲する化生が飼われていることを。  
 花屍には関係のない噂。彼は自分を美しい存在だとは思っていなかった。周りは彼以上の美しさを持っているもの達が多く、自覚がなかったのだ。
 だが、彼は、花唇、花瞼、花顔、が揃うほどに美しかった。
 それと不運もあった。

「た、すけ、て、だれ、か。たすけ、て。たすけて」
 逃げる場所なんて限りがある。花屍は壁際へと追い詰められていた。迫る魔の手を前に、縋るように胸元にあるはずの首飾りへと手を伸す。
「……あ」
――そ、うだっ、た。
 鍵のついた首飾り。彼には必要不可欠なもの。それがなくては彼は自身の身を守れない。帰ることも出来ない。だがそんな大切なものを。
――こ、わされ、た、ん、だっ、た。
 手を握り締めたと同時に、粘ついた触手が花屍の手首へと辿りついた。

「……っ……んっ……」
 花屍は座敷牢の真ん中付近にいる『それ』の触手に引きづられていた。
 右手首に纏わりつくように絡めてきた触手を引き剥がそうとしたが、ぬめついたは中々外れず、着々と左手首、右足首、左足首へと絡みつく。
 枷はいつの間にか外され跡形もなくなっていた。
 花屍は、抵抗をやめずに絡みつく手を引き剥がそうとする。だが更に締めつけ、彼を諦めさせようといわんばかりに纏い付いてくる。
――き、もち、わる、い。
「んっ……い、や、はな、し、て……」
 少しでも離れようともぞもぞと藻掻く。そのせいで触手からででいるぬめついた液が彼の着物をじとじとと濡らしていく。重かった着物が更に質量が重なる。花屍の動きは鈍さが目立つようになっていく。
 
 ずる……ずる……と花屍は『それ』に徐々に近づき、ついに目の前へと引きづりだされる。
 『それ』は花屍の目に入っているのに、何であるか認識出来ない。名も知らぬ化生の正体は不明なのかもしれない。
 その化生は自分の前に来た花屍をじっくり見る為なのか、彼の腰に自身の触手を巻き付ける。
 苦しさに下を向いた花屍の顔を『それ』は触手で無理やり自身へと向かせた。
 顔に触れた触手は変わらず、粘ついて、ぬめついている。花屍は最早不愉快な顔を隠せなくなるくらい嫌悪との感情が湧いてきている。
 化生はじっと花屍を見ているような気がする。
 やはり目の機能はない。それどころか顔という機能や飾りすらない。
 それでも花屍を頭の先からつま先の外見だけでなく、一挙手一投足すべてを眺めているような感覚を彼は感じていた。
 手の拘束だけでも外したいと花屍が藻掻くと、愉快げな雰囲気がし、足を見ている時に彼が少しでも動くとつまらなさそうな感情が湧いてくる。
 観察している中で、触手は花屍の愛撫を始める。彼は驚き、身体をよじったり、足で触手を蹴飛ばそうとしたが、まったく意味をなさなかった。
「や、めて。さ、わら、な、いで」
 首を軽く締めてうっすら跡をつけたり、両足を無理やり開かせたり、着物襟に無理やり入れたり、とやりたい放題だ。
 中でも股にずるりと触れてきた時が酷かった。一度ではなく何度も何度も何度も何度も何度も同じ行為を繰り返したのだ。
 最初は花屍も足を閉じて抵抗したが、段々と力が弱くなっていった。
 化生は徐々に弱々しくなっていく少年を愉快げに観察し続けていた。

 暫くして花屍に対する愛撫をやめ、床へと下ろした。
 自由の身となったにも関わらず、花屍は動く様子がない。
 ゆっくりと上下する胸の動きから生きてるのはわかる。全身はぬめねめとした液と汗が混ざりあい、着物を身体に纏い付かせていた。目には嫌悪と恍惚が混じった視線を向けている。 反対に化生は愉悦だけを向けていた。
 視線なぞ絡ませたくない。花屍はもはや視線のみでしか抵抗出来なかった。
 
 ほんの数秒。まばたき一つだっただろうか。
 花屍の意識はゆっくりと落ちてきた。
 身体の限界が来たのだろう。
 まだ眠ってはいけない。再び身体を弄られるかもしれない恐怖。目が覚めたときに花屍は花屍でいられるのか。
  
 だがもはや花屍は目を開けている気力もなかった。  
 ゆっくりと瞼が下りていく。最後に見たものは、化生の『』だっ。

 化生は花屍が眠りにつくまで、じっと見つめ続けていた。