sumii

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10/28/2023, 12:23:22 PM

僕たちが出会ったのは暗がりの中。僕以外誰も知らないはずだった廃ビルの屋上。仕事でうまくいかなかった時、何もかもを忘れてしまいたい時、僕は自然とここに足が向いていた。
暗がりの中から空を見上げると、都会の喧騒を突き抜けて大空に満天の星が広がっている。僕は三角座りで小さな光たちを眺めて時すらも忘れる。明日はちょうど休日だから僕は時計を見なかった。

 星も消え始め遠くの空が白み出した時、後ろでガタンと大きな音がして、僕は振り返る。僕の予想に反して小さな黒い生き物と目が合った。夜に取り残されてしまったのかと疑うほど暗い毛並み。それを呆然と眺めていると、その生き物は僕のとなりにぴょんと飛んだ。優雅に足をぺたんとつけて、クイっと凛々しく顎を上げる。生き物につられるように、僕も空を見上げる。空が淡い青に染まっていくのを見守った。

 しばらくして生き物を撫でてやろうと、下を向くと生き物はまるで最初からいなかったかのように消えていた。
1人で見るはずだった僕の夜明けはあの生き物と共有されたのに、その心が浮くような歓びを共有せぬまま消えるなんて。気まぐれな夜明けの侵入者だ。


『暗がりの中で』

10/27/2023, 10:59:12 AM

紅茶の香りで思い出すのは、お父さんの顔。
 お父さんは土曜日の朝、誰よりも早くベッドを抜け出して紅茶を淹れる。お父さんの休日の朝は紅茶を淹れることから始まるらしい。

 わたしはいつも紅茶の香り漂うリビングに、寝ぼけ眼をこすりながら入る。リビングにはもう弟も母も食卓の前に座っていて、ギョッと目を見開いていた。どうしたのと聞く前にわたしはなんとなく勘づいていた。食卓に並べられた湯気をあげる品々を見てため息をつく。
「お父さん。今度は何、うどん?」
「ああ。たまにはいいだろう。うどんが食べたかったんだ」
「それは別にいいよ。でも紅茶にうどんはないでしょ」
「そうかー?お父さんは気にしないぞ。それにすごく美味しいんだぞ」

まだ抗議をしようとしたけれどそれを制するように容赦なくわたしの前にもうどんと紅茶が並べられる。

またため息をついて、意を決して口に運ぶ。やっぱり合わない。弟もまじか、というように口の端を曲げながら咀嚼している。

 この前は、紅茶にかやくご飯。その前は、紅茶に焼き鮭にお味噌汁。お父さんはちょっと味覚がヘンなのだ。わたしたちはいつも休日だけお父さんの"ヘン"に付き合う。

 だけれど、お父さんはそんなわたしたちの顔を見て、心底幸せそうに笑ってる。お父さんはこの組み合わせが最高に美味しいと思っているようだ。だからわたしたちに食べさせることができて嬉しいのだろう。
みんなそれを知っているからお父さんを本気で責めたりしないのだ。


そんなお父さんは、今は空の上にいる。空の上でも紅茶を淹れて炒飯と一緒に神様に振る舞っていやしないだろうかと、窓の外から紅茶の香りが漂ってくるとふと思う。

全く合わないのに、美味しくないのに。
あの味がたまにとても懐かしい。


紅茶の香りはわたしに苦味と愛おしさを届けてくれる。


『紅茶の香り』

10/26/2023, 2:12:35 PM

好きよ
 衝動的に口走る。だって待ってくれなかったのだもの。あたしを置いてあたしの前を歩く彼をこの場に繋ぎ止める言葉がこれ以外に思いつかなかったの。

とどめなく溢れる彼への想いに押し潰されそうになる。あなたはあたしが知らないことばかり知っている。あたしよりも前を早足に歩いているから。その度にあたしにいろんな事をあなたは教えてくれた。
 近所の野良猫のタロウは、煮干し以外じゃないと食べようとしなくてミルクを持っていこうものなら引っ掻くような図々しい猫だとか、となりのおばあちゃんのお孫さんの太郎くんが保育所でおもらしをしなかったとか。

くだらないことも沢山だったけどあなたが教えてくれる全てがあたしの全てだったのよ。
 だけどこればっかりはダメじゃない。いなくなっちゃったら教えられないじゃない。あなたが残していくのはあなたを失うあたしの心の痛みだけで、最後に教えてくれるのが痛みなんて酷いじゃない。
少しずつ命を冷たくしてく彼の手を握る。

「ああ、俺も誰よりも愛してた」

もうすでに過去を生きるあなたを強く、抱きしめた。
 ああ、またあたしを置いて先を行くのね。

 好きよ、愛してる。だから、いかないで。まだ聞きたいことが沢山あるの。
そうね、まずはあなたを思い出す時に、笑って思い出せる方法を教えて。


『愛言葉』