絆
気がついたら生まれている
思いやりや裏切らない気持ちがお互いにある
ちょっとの事では壊れないのも知ってる
けど、壊れるのがこわくて、
言わなければいけない言葉も
ためらってしまう
大好きな君に
会えない日々
こんな生活に、価値があるのか
君は、どう思ってる
伝えたい
君のこと、大好きだよ
会いたいよ
君との幸せな時間を取り戻したい
君も同じ気持ちだろうか
忘れないで
かならず、会いに行く
小さな命
いつもこの表現に違和感を感じている
小さな、というのは命のどの部分を測ったのか
では大きな命とは何なのか
しかし小さな命と聞いて私が連想するのは
小動物や生き物の赤ちゃん、虫や植物だった
この命たちは私よりもよほど、
生きる力が強く漲っているはずなのに
私は彼らを、小さな命だと思っている
私は奢っているのか
彼らなしでは、命は継続されない
単に生命活動の継続だけではない
私に生きる喜びや、命の輝き、素晴らしさを教えてくれる身近な存在でもある
そして、身近に生きるからこそ、つらく、苦しい時もある
私は彼らに、何かを教え、与えられるだろうか
いや彼らは私なんかに頼らず、自分で力強く歩んでゆくのだろう
時には、手助けができるなら光栄だ
小さな命とよばれる命たちは、偉大だ
そしてまた、その偉大な命たちは、
小さな命とよばれる命を生み、育んでゆくのか
この瞬間も
同情
これは、よいことなのか、よくないことなのかすらわからないし
こんなことを言うと、たくさんの人から否定されるのは
わかってるんだけど
最近は、ニュースで報道されている
無差別殺人犯にすら同情できるようになってきたのを
誰かに言いたかったので、この話をします
世の中には不幸な事件がひっきりなしに起こっていて
その事件を起こした人や、被害者側に対して、
あなたはどんな感情を抱きますか
もちろん被害者は気の毒で、
ただその場に居合わせただけとか、いつも通らない道で被害を受けたとか、気の毒という言葉じゃ済まされないほど
もちろん遺族の人達にも同情するんだけど、
犯人の生い立ちを聞くと、必ず寂しい生い立ちをしていて
加害者側にも同情してしまうことがある
庇う、とまではいかないけど
つらかっただろうな、
歯止めが利かないときもあるよな、と思ってしまう
これは、被害者がどんな人だったかより、どちらかというと犯人の生い立ちや人柄や素行ばっかり報道するニュースに
原因があるのかもしれないけど。
幸せそうな人とか、能天気そうな人とか、何もかも成功してそうな人とか、自分に持ってないものを持っている人を羨んだり妬んだりする気持ちも、
手当り次第破壊したくなる時があるのもわかる
だからって、人を傷つけてはいけないって世の中の決まりになってるから、やっぱり人を傷つけてはいけない
だから同情はするんだけど、やっぱり同情するだけ
幸い、私にはそこまで追い詰められた経験はないし、
同情といっても、やっぱり同情する程度で
そういう人たちに進んで手を差し伸べたいとは思わない
私に、その人たちを救える力があったなら、また考え直すのかもしれないけど
枯葉
茶色で、シワシワ
木枯らしに飛ばされて
高いところから、落ちていく
踏むと、ザッカザッカと音が鳴る
カサカサで軽くて、いくらでも落ちてくるし飛んでくる
邪魔者扱いされてホウキでサッと寄せられて
どこかへ捨てられる
くすんで、たるんでく皮膚
ギコギコ音を立てる関節
忘れっぽくなる脳みそ
世の中の情勢についていけなくなり、
そんな自分にもガッカリする
何度も人にものを聞き返したり、
突然、行方不明になって、町内放送で名前と背格好、
着ている服なんか放送される
暑さ寒さも感じにくくなるらしい
私も、きっとたくさん、人様のお世話になる
まだ、誰の世話もしたことないのに申し訳ない
でも、抗いたい気持ちはある
皮膚も関節も、骨も、永遠ではないけど
青い時代には戻れないけど
生きてる限り自分の足で歩いていたいし、
好きなものを見て、聞いて、食べていたい
そして世の中の存在すべてに感謝と敬意を忘れずにいたい
私、今年で80だけど、
これまで大きな病気ひとつなく、
今だって薬なんて1つも飲んでないわ、
足腰もまだ大丈夫!
昨日は孫と1日中外で遊んで、
そのあとステーキを食べたのよ、
もちろん、自分の歯でね!
…これって、とてもありがたいことね。
と言ってたい
枯葉なりに社会の輪にまざって、
枯葉同士の仲間をつくって、心豊かに暮らしたり
青い人たちと交流できたりしたらいいのに
お節介と言われない程度に…
まあ、青い人たちをみて
私の時代は、こうだった、と懐かしく思ったり、
老いて思うように動けない自分自身や、
今時の考えや風貌の若者に嘆いたりするのだろうけど
それでも自分と、他の人たちとうまく関係を築いて
何か些細なことで社会の役に立って、
認められたい
枯葉でも、ここに居ていいよ
少し力を貸してほしい、なんて言われたら嬉しいし
死んだ後も、誰かの心によい思い出として残っていたい
だから自己満足ではない方法で、社会の役に立ちたい