愛情は解釈が難しい。
誰より優しく接するのも、誰より厳しく接するのも、同じ『愛情』とされてしまうので。きっと、愛=LOVEと解釈されてしまうことで面倒くさくなる。
そこで、自分は敢えて『愛情』を『I情』と解釈したい。Iとは英語で『私』のこと。
I情たっぷりの →私の思いがたっぷりの
I情をそそいだ →私の思いをそそいだ
I情表現 →私の思いを表現
こう考えると、『I情』というものがいかに一方的で恩着せがましいものかが分かる。
重すぎるI情や、見返りを求めるI情には、くれぐれもご注意を。
微熱の定義は人それぞれ違う。
36.9度以上なのか、37.2度くらいまでなのか、もしくは37.5度くらいまでなのか‥などなど。
この議論と並行して浮上してくるのが『自分の平熱問題』。
「私、平熱が35度台だから、36度でも微熱なの〜」
「私は平熱が34度台だから、36度でもほんとは発熱〜」
‥こうなると、突如『私、ほんとは病弱だけどがんばってるんだゾ⭐︎』論争に発展する。
はっきり言って、マジめんどくせー。
誰か、微熱の定義バチッと決めてくださーい。
太陽の下で、黒っぽい紙と虫メガネを用意して、太陽光を集める遊び。
あれ、想像より早く紙に着火して、ビックリしてビビって泣いた覚えがある。
今思えば、あれが最初で最後の火遊びだった。
今の子はそんな遊びしないんだろうか?
あれは、自分史上最高の太陽リスペクトだった(笑)
セーターと言えば、女子から意中の男子へ、もしくは母親から息子へ手編みで贈られる品の代名詞(?)。
その反面で、一晩で手編みのセーターとか、一方的に重すぎる愛情の代名詞にもなっている。
ーでも、ちょっと待ってよ。
一晩で手編みのセーター作れる人材って、凄すぎる。
その技術、意中の男にしか使わないなんて勿体無い!
この技術、是非ともお金にしましょう!!世の中に活かしましょう!!
と言うわけで、一晩でセーター手編みできる人、セーターの技術講師とかハンドメイド製品のオンライン販売とか、その才能を世の中に活かして稼いで下さいねー!!
物が床に落ちる。
階段を転げ落ちていく。
涙が頬から伝い落ちる。
落ちる物体には色々あれど、落ちた物はガリレオやニュートンが発見した法則に基づき(?)、地球の中心部に向かって引っ張られていく。
だから、落ちた物は大抵床や足元なんかに叩きつけられて留まることになる。
でも、この法則がもし、反転していたら?
落ちた物が地球の中心ではなく宇宙に向かって引っ張られることになったら?
きっと、『落とし物コーナー』の概念が世の中から無くなっていたことだろう。
だって、落とし物は大気圏で焼滅するだろうから。