「夫妻」は、当該の2人以外に誰もいない印象があるが、「夫婦」は2人以外にも誰かがいる印象がある。
うまく表現できないが、「夫婦」の背景には、その夫婦にまつわる「家族」がこれから展開されていく印象がある。
つまり、夫婦は夫妻から更にパワーアップした最終形態であり、完成形であり、家族の出発点なのだ。
人生という長い旅路の中で出会った男女が夫婦となり、新たな冒険へと旅立つ。
『夫婦-FUUFU- 〜まだ見ぬ家族を求めて〜』
‥‥昨日、〇゛〇〇゛〇クエストのプレイ動画を見て触発された模様。
「どうすればいいの?」
以前はこの質問をするのもされるのもすごく抵抗感(反感)があった。
相手に丸投げで無責任な感じがあり、ちょっとは自分で調べるか考えたらどう?的な思いが強かったから。つまり、「どうすればいいの?」と質問する=恥だと感じていた。
でも、今は普通に「どうすればいいの?」と質問できるようになった。
それは、「知ってる人に聞いた方が一番確実で近道」と
いうことを学んだから。
‥これ、本当の話アルヨ。
アイヤー、あの頃はミーも若かったアルヨ。
子どもの頃の自分は、とにかくキラキラしたガラスやおもちゃ、水晶や宝石もどきが宝物だった。
高校生の頃はアイドルの写真集とか、バンドのライブで買ったポスターなんかが宝物だった。
大人になって久しい今、宝物とは何かと問われれば「健康」とか「徹夜できる体力」とか「十分な睡眠時間」とか‥‥。
なんか、歳をとるほど宝物はプライスレスになっている。
ある意味、子どもの頃には絶対思いつかなかった宝物(笑)
キャンドルはろうそくのこと。
「キャンドルナイト」と聞けば、この季節にピッタリなイルミネーションや催しを思い浮かべますか?
そう、あのエモい映えるやつですよ。
でもね。
これを日本語に訳すと、「ろうそくの夜」です。
暗闇の中に灯る無数のろうそく‥‥。
‥なんということでしょう、舞台は一気に「百物語」に早変わり‥‥!
これが日本語の面白さであると同時に、蠟燭という漢字はめちゃムズいと感じる寒がりの夜。
たくさんの想い出は、頭の中に記憶としてしまい込まれる。
古いものから奥へ奥へ、もしくは新しいものがどんどん上に積み重ねられ。長い年月のうちに形が変わったり、ついには薄れて消えてしまうこともある。
その反面、剥製のようにいつまでも生々しく居座っているものもあるけど。
だけどふとしたきっかけで、ヒトは膨大な記憶の中からその一つを拾い出し、喜怒哀楽を再体験できてしまう。
更に、その記憶の当時に瞬時にタイムスリップもできてしまうのだ。
まったく、ヒトは頭の中だけでは誰しも超人である。
そんな頭、今日もお疲れ様。