あなたとわたし たのしくあそびましょう
おおきなくりの きのしたで
『大きな栗の木の下で』という童謡。
子どもの頃は、イガのついた栗が落ちてくるかもしれない
木の下で遊ぶとはなかなかデンジャラスだと思っていたが。
大人になった今、よく考えたら栗が実る時期以外なら別に木の下にいても危険性は無いのだと気づいた。
というわけで、存分に楽しく遊んで下さい。
『弱い』でも『小雨』でもいいのに、『柔らかい』と表現するのは、雨が日本人に愛されてきた証拠だよなあ…と、分かったような、分かってないような(多分こっちの要素が8割)ことを考えた。
じゃあ、『硬い』雨とは何か?
ーそりゃ霰(あられ)か、雹(ひょう)だろ。
そう真っ先に思いついた自分は、やっぱり分かってない方の人間でした。
一筋の光とは、絶望の中における希望の光とも考えられるらしい。
四方を壁に囲まれた、まさに四面楚歌の状態において、その壁のどこかににわずかに空いた穴から差し込む光、と言ったところか。
自分なら、それに安心するんじゃなくて、その光の穴を拡充して、ぶっとい筋の光にしてやるわ!と思った。
なんなら、そこの広げた穴から脱出してやろうか?!
以上、酔っ払いの戯言でした。
哀愁と聞いて、真っ先に思い浮かんだのは
某バンドの『サウダージ』でした。
でも、サウダージの意味は、哀愁でなく郷愁でした。
意味は違っていたけれど、すごくいい曲なんです。
共感してくれる方、明日いいことありますように。
もはやいつからかも覚えていませんが。
私は外出先で自分の顔をチラッと確認したい時、手鏡ではなくスマートフォンのカメラ機能を使うようになっていました。
スマートフォンのカメラ機能はマルチタスクの一つですが、手鏡は自分を写すためだけの道具です。
そんな手鏡を使って、鏡の中の自分と対峙している人は、自分の存在を大切にしている人だと思います。
そんな貴方は、すごくかっこいいですよ。