『夢見る心』
『届かぬ思い』
昔、神様とやらに手紙を書いたことがある。
あの頃の私は、神様を信じていた。
誰かに、私の願いを聞いて欲しかったのだ。
両親は早くに死に、私を引き取ってくれた祖父母も1年と経たずに死んだ。
それから、親戚にたらい回しにされ、結局最後は児童養護施設に入った。
施設の人はいい人ばかりだった。
先生は優しくて、友達も出来た。
でも、家族ほど心の許せる人はいなかった。
所詮、彼らは血の繋がってない他人だから。
そんな時だ。
"神様"という存在を知ったのは。
神様は、私たちのお願いを叶えてくれる。
神様は、私たちをいつも遠くから見守ってくれている。
そんな甘い話を信じて、私は神様に手紙を書いた。
神様は、私の声が聞こえるほど、近くにいる訳では無いから、手紙を書くのがいいのだと、仲のいい男の子が教えてくれた。
馬鹿な私は、覚えたての字で一生懸命に願いを綴った。
『かみさまへ
いつもみてくれてありがとうござきます。
おねがいがあって、おてがみかきました。
わたしははやくかぞくがほしいです。
いいこになるので、おねがいします。』
そうして書いてから、枕元に大事に置いて、神様が手紙を読んでくれるのをじっと待った。
待っていたのに。
神様は、そのお手紙を見てくれることはなかったようだ。
いつの間にか、手紙がなくなっていた時には、神様がもっていってくれたと喜んだものだが、その手紙がなくなってからも私のお願いが聞き入れられることは無かった。
ただ単に、私が手紙を失くしてしまっただけなだったのだろう。
現に私は、その施設を出て、寂しい社会人生活を送っている。
新人社員として忙しくしている時に、ふと、これを思い出して、「神様なんて結局いないのか」と絶望した。
神様がこの手紙を見てくれたなら、きっと、里親が私を引き取ってくれたはずだ。
もしくは、奇跡ってやつで、両親か祖父母を生き返らせてくれてもいいじゃないか。
それがなかったということは、神様は手紙を見てくれていない、『神様なんていない』ということで。
私はその頃から、神を信じなくなった。
毎日毎日、仕事に追われ、誰もいない家に帰り、1人寂しく眠る日々。
悲しくて悲しくて、神を恨みそうにもなったけど、恨むということは、『神様がいる』と信じてるみたいだったから。
あんなやつ、思い出してもやらない。
そう決意してからは、恨もうともしなくなった。
そんな日々を過ごしていたある日、急に後ろから腕を引かれた。
振り返ると、同い年くらいの、スーツ姿の男性が私の腕を掴んでいた。
「あの...」
私は困惑して、何が何だか分からなくて、目の前の男性に声をかけた。
男性は、一度深呼吸をし、こちらを見据えて口を開いた。
「あの頃のお願い、僕に叶えさせてはくれませんか。」
そう言葉を放った真剣な彼の表情を見て、あの頃の思い出が蘇った。
神様を教えてくれた男の子。
彼は、その子によく似ている。
「もしかして」
私は確認するように、彼の名前を呟いた。
彼はそれを聞いて、顔を明るくさせ、大きく頷いた。
「本当は、あの頃から僕に願って欲しかったけど。君はきっと、僕にお願いなんてしてくれなかったから。」
あの頃の私は、自分の意見をひとつも口にしない、そんな人間だった。
「だから、神様になら、お願いしてくれるかなと思って。」
神様には、手紙を書くといいなんて、教えたんだ。
彼はそう言って俯いた。
「勝手に手紙をもっていってごめん。でも、君の願いを叶えたくて、そのために色々頑張ったんだ。」
彼は一度、こちらを見た。
「僕を、君の家族にしてください。」
私は物心が着いてから初めて、"家族"に抱きついた。
家族の腕に包まれて、安心して、勝手に涙が溢れた。
彼のポケットからカサリと何かが落ちる。
あの頃の手紙だ。
『神様へ』なんて。
手紙なんて必要なかった。
ずっと近くに、神様はいたのだから。
『神様へ』
母は私が物心つく前に亡くなった。
父は私が小学生になる前にいなくなった。
祖父母はよく分からない。
そうして私は鬼がいる地獄で暮らすことになった。
鬼たちは、私の靴を食べてしまったり、大きな手で襲いかかってきたりした。
痛くて怖くて、布団にくるまって逃げようとしたけれど、逃げた先も結局地獄で。
つまり、この世界はどこまでも地獄だった。
ある日、小さな地図を手に入れた。
それには、この世界からの逃げ道が書かれていた。
私は初めて希望を知った。
それを胸に裸足で外に出た。
地図を見ながら、一生懸命脚を動かした。
やっとの事でついたそこは、絶景だった。
私が生きた地獄が小さく見える。
あんなちっぽけな世界で生きていたのだと思い知らされた。
「ちっちゃいでしょ」
あの地獄。
いつの間にか、隣にいた天使のように透明な少女は、小さな口から言葉を紡いだ。
私は、前だけを見ていたけれど、なぜか少女の様子がなんとなく分かった。
「うん、小さい」
呆れるくらいに。
こんな小さな世界だけ見て、私は全てに絶望していたのか。
でも、こんな小さな世界だけれど、私のすべてだったから、
「でも、辛い」
少女の方を振り向く。
私の心の声を代弁した手足が細い少女は、小さな地獄を見つめていた。
「この広い世界から逃げ出したくなるほどに」
少女は、やっとこちらを見た。
彼女の顔には表情がなかった。
可愛らしい少女には似合わない、頬にある大きな傷が目についた。
「でもだめ」
ふわりと笑った少女は、今まで見た何よりも綺麗だった。
いや、今まで見た、1番綺麗だったものと同じくらい綺麗だった。
覚えていない、覚えていないけど、私はこの笑顔を見たことがある。
両親のいない私は、児童養護施設に入れられた。
その施設の先生も子どもも、同じ人間とは思えない酷いやつらだった。
子どもたちは、私の靴を隠して、先生たちは、私を叩いた。
痛くて怖くて、布団にくるまって夢に逃げたこともあったけれど、夢に見るのは両親が死ぬ瞬間。
見たことなんてないくせに。
この世界は、地獄だった。
そんな地獄にその子は現れた。
私の靴を取り返して、いじめっ子達を追いかけ回した。
私を叩いた先生に、思いっきりビンタを食らわした。
彼女は私の天使だった。
そして、当たり前に、いじめる標的はその子になった。
頬にある大きな傷は、手足が細いのは、透明になりそうなぐらい白い肌は、
すべて、私を守ったから。
なんで、忘れていたんだろう。
目から涙が溢れ出た。
喉が張り付いて、声なんかひとつも出ないのに、涙ばかりが出続けた。
彼女は、私の後ろを指さした。
「お迎えがきたよ」
今度、お手紙くらいはちょうだいね。
後ろを振り向くと、微かに見覚えのある男女が私の元に駆け寄り、抱きしめてきた。
私の名前を呼んで、泣きながら必死に謝ってきた。
祖父母だ。
「ああ、やっと見つかった」
ずっと探していた。
本当に、心の底から安堵しているように、私を抱きしめるその2人は、誰からみても私を愛していた。
私は2人を抱きしめ返しながら、もう一度振り返る。
そこにあるのは、揃えられた二足の靴だけだった。
きっと彼女は天使だから、天国に帰ってしまったのだ。
お手紙、書かないとな。
天国ってどこにあるか分からないし、何個あるかも分からない。
だから、空にさえいれば届くように。
彼女のもとに私の声が届くように。
拝啓、遠くの空へ
もう少しだけ待っててね。
『遠くの空へ』