愛犬チャッピーと私
幼少期あなたは元気いっぱいにゲージの中で過ごしていたこと今も覚えているよ。飼うことになって家に迎え入れた時はたまらなく愛おしく可愛く想いました。
公園を散歩し疲れて眠る姿。遊び回る姿。その暖かい体温。冬の日はストーブの前で寝ていたね。散歩に行く時にはいつもはしゃいで嬉しそうに走っていたね。雷が怖くて震えていたね。一緒に寝た日。写真を撮った日。出かけた日。可愛かった。
ねぇチャッピーあなたは幸せでしたか。
『クリスマスまで生きててよ。』
それに応えるように12月25日をすぎ12月27日あなたは眠りについた。
私は後悔しちゃった。あなたの最期をまだ生きていると信じていたくて『嘘。』と口からこぼれ落ちてその事実から目を背け。まだ大丈夫生きてるって。また会えるって思って。帰った時にはもう。冷たくなったあなたが居た。ごめんなさい本当に。見届けたかった。好きだったよ大好きだよ。
その翌日。家の中でワン!って声が聞こえた。その声が聞こえたかと周りに聞いてみても聞こえないと。その時チャッピーだそう思った。私にだけ挨拶に来てくれたのかと思うと泣いてしまった。
チャッピーありがとう。私のそばにいてくれてありがとう。
またね。
私はもう後悔しないように離れていても近くに居ても大事だと思う人の事だけは愛した人の事だけは今日が最後だと思いながら過ごしているとかける言葉も想いも違って来る。
私は夜が好きだ。夜にいつも散歩に行く、影ごと包み込んで私を隠していてくれるから。街灯がある公園で曲を聴きながら歩く。その時だけは誰のことも気にせず集中して歩いていられる。陽の光は眩しすぎて性にあわない。夜は変わらずそこにいてくれるから落ち着くずっと歩いていられるくらいに。
夜景がいい所を歩くのも好きだ。ずっと見ていられる。
まっすぐな道で寂しい
景色が過ぎて夜が明ける。
山の中曲がりくねった道の途中に色、形、大きさも違う家があった。そのどれもが綺麗でいいなぁと思える家ばかりだ。だから木々の間から見える道は寂しくなかったよ。
ギターを弾きたい
絵を描きたい
ファッションデザイナーにりたいと願ったことがある
ダンスをしたいこと。
パティシエになりたいことも。
だけどそのどれもが私にはセンスのないものでゼロから何かを作り出すことが難しく表現出来ない。
きっと自分の想いを歌えたら気持ちのいいものだろうか。絵を描けたら誰かに届くかな。好きなように創造できる力はすごく楽しそうだな。最後の願いは。
最期とういうものに苦しくもなく痛くもなくただ眠るように尽きていきたいベッドで眠るように。
海外にも行きたいパリに行って洋服屋やお菓子を見たかった。
ファッションデザイナーになりたいと言ったが結局は自分がその服を着たい側だっただけ。あと写真も撮りたい綺麗な景色を。
死にたがってるくせにこんなにやりたいことあるんだよね諦めただけで。
人の暖かさと朝日の温もりはよく似ている。心地がいいのだいつまでもそこに居続けたいようなそんな感覚。元気になれる。
毎年夏になると、ここだけが私の居場所だとそう思えるところに会いに行く
私は朝、澄んだ空気、鳥の鳴き声、太陽の光で目が覚めるその瞬間が心地いい。眠い目をこすり顔を洗いに行き着替えて山に向かって散歩に行く、その道中では畑があり向日葵が咲いている。
この文にあるように田舎だ人の暖かさとはそう『いっぱいあって食べきれないからこれ食べてね美味しいから』これだけでも暖かさを感じる。
また心の暖かさを感じることもある。代わりにすごく冷静に怒ってくれる人がいる時。
その場所は私の居場所になった安らげる。その場所だけが。不安もなくただ安心して眠れる。
それが無くなると思うと酷く虚しい。確かにそこにあったはずの温もりが無くなっていくようで、そこに居た人たちが居なくなるのはもう声を聞くことも話すことも触れることさえ出来なくなることが悲しく淋しい。
全く関係ないことを書きたくなった。
いつも大事にしてる人達の方が居なくなるのはなんで。またかまたこの人も居なくなるんだってなるんだよ。
人と関わらない時の方がすごく楽だ。何も感じないから。傷ついても1人で背負えるから。人と関わったら人の暖かさに気づいて弱ってしまう。独りに戻れなくなる。
岐路というものをあんまり感じたことは無い、この言葉だけを聞くと、苦労知らずなのかと思われるがそうでも無い。むしろ普通の人なら死んでしまってもおかしくないくらいの事は経験している。
私自身が変わったことはいくつかある。
愛したい大事な人が出来たこと、感情を無くすのは心を包む最も必要な鎧、感情を無くさなくても良くなったこと。どんな暗闇でも照らすような強い言葉を探し続けていること。
それくらいだ。これからきっと大きな決断が迫られることもあると思うその時は、自分が壊れない程度に頑張る。まあもう多分どこかしら壊れている。
私の好きな言葉、目の前の別れ道の選択に悩みこそすれどそれを不正解と言ってしまう選択こそ最も不正解なのだ。
岐路というものを感じた時またここに綴ろうと思う。