「sweet memories」
むかし家にあった おもちゃの手押し車
押して歩くと アヒルの顔が
首を上げたり下げたり
そんな風に
幸せと後悔と
日だまりと痛みと
交互にひょこひょこ顔を出す
無表情なアヒルの木切れの顔が
憎らしく見えてくる記憶の反復横跳びだ
好きだった その記憶だけ
覚えていたいのに
「どんなに離れていても」
しばらく河原の石だった
上流から ごろんごろん
他の石とぶつかり合ったり 離れたり
転がり落ちる間に 割れて剥がれて
剥き出しの尖った表面が
川底に刺さりながら また落ちていく
気がつくと河原だった
星が出ていた
あの時剥がれた からだの一部が
遠い空から見下ろしていた
ここから海へと運ばれるのか
光に問うても答えは出ない
河原の自分にも飽きたら
今度は自分から転がるのもありかもしれない
それも良いねと
遠くで欠片のあなたは笑うだろう
「芽吹きのとき」
あたたかな雨がわたしを濡らす
土の中で丸くなり眠っていた私は
かろうじて 多分まだ人
泥だらけの身体を起こして
ずり上がったシャツをジャージに入れ直せば
流石に立ち上がらなくちゃいけない
待たせてごめんねと言わなくちゃいけない
根気強く 返事をくれたあの人に
それが嬉しくもあり やれやれとも思う
おい 起きてるかい
どうやら春だよ
隣の畝に呼び掛ける私は
かろうじて まだ生きている
「記録」
たまには私だって
誰かが淹れてくれた珈琲を
飲みたい時がある
インスタントの安いやつで良いんだ
適温とかお構いなしで
熱々のを一杯
もう何十年も 事務職やって
どれくらい淹れ続けているのかわからないけど
一度も 誰かに淹れて貰ったお茶を
飲んだ事はない
来客の人数を間違って余ってしまい
自分で飲んだ事はあるけど
一袋300円の緑茶を
適当に淹れた味がした
むしろ従業員用のほうじ茶の方がまだしもだ
いずれ私がここを去る時までに
誰かに淹れて貰ったお茶を
飲める事があるかしら
その時はぜじ
熱々の珈琲を一杯
インスタントので良いから
何度見たかな
いくつ見たかな
数えきれないほどだよ
「君と見た虹」
最後に見たのはいつだったかな
消える前に早く早くと
スマホのレンズを向けても
目で見た姿には敵わなかった
ましてや
今は隣に あなたが居ない
いつかまた 会える特まで
ひとり見送る
空ににじんで消えゆく手紙