『夏』
ふと鉛筆を走らせる手を止めて外を見た。
縁側の向こうに見える田んぼの畦道を見知ったおじさんが自転車で通り抜けていく。
夕日が当たる田んぼにはいつの間に作業を終えたのか、誰もいなくなっていた。
冷蔵庫を開けて昨日から冷やしておいた2ℓのサイダーを取り出す。
ペットボトルのキャップを捻ると、パキッという心地よい音が鳴り、炭酸が抜ける。
食器棚からガラス製のコップを出して、その中に氷を入れる。
コップが充分に冷えたところでサイダーをそそぐ。
しゅわしゅわと音を立てながらコップが透明な液体で満たされていく。
一杯分のサイダーを注ぎ終えたところでペットボトルの蓋を閉め、冷蔵庫にしまう。
机に戻ってしばらく経つと、コップは汗をかき始める。
いくつもの小さな泡が下から上にのぼっていく。
涼しげなその光景を見ているだけで体温が数度下がった気がした。
キンキンに冷やされたサイダーは口に含むとぱちぱちと弾け、舌の上に軽い、爽やかな痛みをもたらした。
その痛みが癖になり、一口、もう一口とサイダーを飲む。
満杯にあったサイダーは、いつのまにか半分以下にまで減っていた。
扇風機の作動音、サイダーの泡の粒が弾ける音、氷が溶けてコップにぶつかる音、外から聞こえる蝉の声…。
様々な音に包まれながら再び鉛筆を走らせる。
溜まりに溜まった宿題は果たして今日中に終わるだろうか。若干焦りを感じて冷や汗が頬を伝う。
まるで嘲笑うかのように氷がカランと音を立てた。
『また明日』
駅前に新しくケーキ屋がオープンしたらしい。
そんな話を聞いたのがつい先日。
ちょうど駅に予定があったしついでに、と軽い気持ちで寄ったのが間違いだった。
ショートケーキ、チョコケーキ、フルーツタルトにモンブラン…。
ショーケースの中には色とりどりのケーキやタルト達が所狭しと並んでいる。
種類豊富な店だとは聞いていたが、まさかここまでとは。
蛍光灯の光を受けてきらきらと輝くケーキ達はどれも美味しそうで、思わず唾を呑んだ。
ショートケーキは黄色いスポンジに生クリームがたっぷりと塗られていて、層の間にジャムが挟まれている。
ホイップの上にちょこんと乗ったイチゴが可愛らしい。
チョコケーキはチョコクリームがこれまた薄く塗られていて、その上からさらにココアパウダーがかけられている。ワンポイントの板チョコは、表面にシンプルな模様が描かれていて、それがまたチョコケーキの優雅さを倍増させている。
フルーツタルトは花の形に象られていて、イチゴにキウイ、マンゴー、ブルーベリーなど、名前通り様々なフルーツがふんだんに使われている。溢れんばかりに盛り付けられた瑞々しい果実達が私を誘惑する。
モンブランはサクサクとしたクッキーを生地とし、モンブランクリームが贅沢に絞られており、一つ一つのクリームの線が芸術的だ。一番上に乗った大きい栗が艶々でえも言われぬ高級感を醸し出している。
カスタードプリンも忘れてはいけない。
甘いクリーム色でその濃厚さを売りにしているプリンはぷるぷるとしていて、己のなめらかさを最大限にアピールしている。
さて、どれにしようか。
どのケーキ、タルト、プリンもそれぞれに魅力があってどれか一つに絞るのは難しい。
いっそのこと全て買ってしまおうか、と考えて自分はダイエット中だったと思い出す。
じっくりと観察しすぎたせいだろうか。
先ほどから定員さんの視線が痛い。
あまりにも長居しすぎたせいで、手ぶらで店を出るわけにいかなくなってきた。
ありがとうございました、という定員さんの声に見送られて店を出る。
結局、選びきれずに全部買ってしまった。
自分の優柔不断さに嫌気がさす。
長時間悩んだ挙句、最終的に全て買ってしまうのは自分の悪い癖である。
これだから今まで貯金が成功したことは一度もない。
それにしても、と右手に持ったケーキ屋の名前が入った白い箱を見る。
思った以上に買いすぎてしまった。
一つでもそれなりのカロリーがするというのに、4つも、加えてプリンも一つ入っている。
ただでさえ、最近体重が増えてしまっているというのに。
だけど。
せっかく買ったのだしやはり全部食べないと勿体無いしパティシエさんにも申し訳ない。
だから、私がこのケーキ達を食べるのは致し方のないことであり、しょうがないのだ。
決して、私がただ食べたいだけというわけではなく、きちんとした理由があるのだ。
だから、
ダイエットは、また明日。
『恋物語』
いちごミルクを作る時間が大好きだ。
いちごをフォークでつぶして、牛乳と砂糖を入れ、かき混ぜる時。白と赤が混ざり合い、やわらかなピンク色になる、あの瞬間。
牛乳と苺が巡り合い、一つになっていく様はある種の恋愛映画を思わせる。
生まれも、育ちも、何もかもが違うもの同士が出逢い、
一緒になる。
いちごミルクとは、牛乳と苺の恋物語なのである。
だからこそ、その恋物語を自分の手で作ることができるその時間、その瞬間を、私は愛しているのである。
『真夜中』
真夜中のカップラーメンは罪である。
味はもとより、香ばしく食欲を誘う蠱惑的なあの香り、熱々の麺…。少ししょっぱい汁は、最後の最後まで私達を楽しませてくれる。
そもそも3分という短時間で完成してしまう点が憎い。
真夜中は何もやる気が起きないという人間の仕組みを利用し、お湯を注ぐだけという単純作業にすることで、私達をいとも簡単にカップラーメンでも食べるか、という気持ちにさせてしまう。
それに加え、真夜中にカップラーメンを食べるという明らかに健康に良いとは言えない行為。
それによって生まれる“背徳感”がカップラーメンの魅力をさらに増幅させている。
丁度良い量、効率の良い調理方法、そして真夜中にカップラーメンを食べるという背徳感…。
あらゆる点においてカップラーメンとは計算され尽くしている。
だからこそ、カップラーメンは長い間、私達の夜更かしの相棒として愛され続けている。
カップラーメンとはつまり、私達の最高の親友にして、最大の敵なのである。