冬になったら、あの日の話をするか。大寒の頃に南国に咲く桜の話をするか。お前と観に行ったあの桜の話をするか。花びらを分けて散らさず、ただ一緒になって頸ごとおちるあの桜の話をするか。
散り散りにならずに済んでいる。
散り散りになったらなったでいいのでは。
それでもまだ隣だ。まだ隣にある。
いまの俺らがあの桜の頸なのか、いまから分たれて散るのか、賭けてみるか?成立などしない賭けか?お前が握り返すその手の温度が答えだと、お前は知りもしないで笑う。だから俺も笑い返す。愛じゃない。親友じゃない。二人でひとつでもない。名前をつけられなくていいしつけられないと名付けて片付けてもいい。己の名前をつけられずに倦んでいた俺が、己の名前をつけざるを得ず倦んできたお前が。ただ相応しく、ただ互いに相応しくここに在る。
わたしたち、どうして。
いつか、あの日、今日、いま。
片時も、隙間なく、手を繋いでるのに、どうして。
君にもそんな時代があったのよ、と神は言う。君の長い尾は鱗で覆われ、君の三角の耳は人の耳になり、君のガラス玉のような目と珊瑚のような牙は、のっぺりとした板のようにぺったんこ。神が拾った子猫を背中に乗せ、君は丸くなって眠る。子猫はにゃあと鳴いている。君もにゃあと鳴いてみせる。君に声を出す器官はない。でもなんとなく、これが声の出し方だと覚えている。だから無音のにゃあを繰り返す。
違いはわからないがお前が秋風だというのでそうなのだろう。四六時中吹いていて、私はただ晒されている。無風とやらもあるらしいがここはひっきりなしである。風たちがこうしてずっと喚いているから寂しくはないが、お前の声を容易く聴き逃してしまうので私はそれなりに必死だ。お前は無の魔法使い。いつか私にやさしく言った。
「止めて欲しいか?」
出会った最初の日だったような気もするし、今しがた言われた気もする。
「何を?」
お前は片眉を吊り上げる。私のからからに乾いた喉から出る小さな音をお前は難なく拾って見せる。止めて欲しいものがあるとすれば、いまこの瞬間。お前が笑ってみせる、不機嫌になってみせる、疑ってみせる、またねと私に背を向ける瞬間、やさしいだけのいまこの瞬間だよ。
たぶん祈りだ。もう会えないことにあなたは薄々気づいている。それでも口にするのならそれは祈りだ。そうあれかし。あなたが贈る宝石が、こぼれた愛が、彼の行く道を今だけでも照らしてくれるようにと、笑って手を振る。