残暑見舞いを送ろうと思った。
高校時代の友人……友人かな? 友人だといいなと私は思う。
誰とでも笑顔で話せるクラスメイトがいて、陰キャの私とも普通に話してくれた。もちろんクラスの中で頼りにされる人気者だった。
一度も休日に会ってどこかに行くとか遊んだとか、そういうこともなかったけれど卒業してからもチマチマと交流らしきものは続いた。
筆まめな人だったのだ。
夏には暑中見舞い、冬には年賀状。毎年はがき1枚の中に近況がみっちり、たくさん書かれてポストに届く。
私はそれを読んで、毎回送り返す。
「今年もお便りありがとう。私は元気です……」
今年の正月、いつものようにはがきが届いた。
近況の終わり、「年賀状じまいをしようと思う」と書かれていた。
筆まめが書く手間を今更気にすることはないだろうから(これも私の偏見なのかもしれないけれど)、忙しくて時間がなくなってしまったか郵送費とかそっちの問題なのかなと思うことにした。
ここからはLINEで連絡を取ろうとIDが書かれていたので早速登録して正月はメッセージを送った。
「今年もお便りありがとう。それにあけましておめでとう。年賀状じまいの件、了解です……」
LINEで繋がれたとはいえ、季節のあいさつをするだけの不思議な関係だ。酷暑も酷暑の今まで全く連絡をすることはなかった。
そういえば、残暑見舞いの時期かと文房具店に並ぶはがきを見て思い出した。今年はもうはがきは来ない。
たまには私からあいさつをしてもいいんじゃないか。向こうは私に何度もしてくれていたのだし、LINEをわざわざ教えてくれたのだから絶交したいわけでもないはずだ。
しかしながら私は筋金入りの陰キャである。普段連絡をしない相手に突然長文LINEを送るのは憚られた。
変に思われないかな。特に仲良くもないのに連絡してきやがってとか、社交辞令で連絡先を書いただけなのにマジで送ってきたとか、送ってきた割につまらないどうでもいい話だなとか、そういったこと思われないかな。
返事が来なかったらちょっと悲しいかも。
マイナスの妄想がぐるぐる回る。
もちろん私の思い出の中の友人はそんなことを思わない。
在学中も怒ったり泣いたり、負の感情を多少は見せてもそれをあからさまにするような人ではなかったから。
今思うと10代ながら人が出来すぎていた。
単に私がそういった脆い部分を見せられる相手ではなかっただけの可能性も十分にあるけれども。
悩み続けて8月に入った。
友人もこういった、例えば返事が来なかったら悲しいなとか、そういう類を思いながらペンを握ったことがあったのだろうか。
やはりここは私から、今度こそ私から、送ってみようかな。
返事が来なくてもいい。万が一届かなくても仕方ない。
これは海に流すメッセージボトルだ。暗示をかける。
お久しぶりです。元気ですか。
今年はものすごく暑いですね……
冒険
未知を恐れるようになったのは何歳になってからだったか。
この先に何があるのかとわくわくするよりも、その正体を知っておこうと検索ボタンをタップすることが増えた。
おとなの自由な時間はとても短く、面白いかどうかもわからない体験に飛び込む勇気がいつの間にか萎んでいた。
タイパだとかコスパだとか、プラスチックのようなことばに振り回されながら毎日同じ日常を送ることのなんと無個性なことか。
今日もいつもの時間に歯磨きしながら検索ボタンをタップする。
冒険、今の僕にはフィクションの中にしかない単語なのだった。
届いて……
ダイエットというのは無理しない、手短な目標を余裕の期間を持って取り組むのが良いと言う。
80kgの人が最終目標60kgを目指すなら突然60を目指すのではなくまずは78kg、そのあたりを目指し生活の改善を図り無事達成できたならまた手近なところに目標をつける。この繰り返しが成功率を上げるのだとか。
マラソンでもよくある方法である。何kmも先を見るより、今見えている電柱まで、看板まで、駅まで……と小刻みに目標を再設定していくと成功体験を積み重ねながら結果的に長い距離を走れるというわけである。
ところで、健康診断が来週に迫っている。
あなたは今年こんな体重でしたと記録されてしまう日がすぐそこに。
とりあえずの目標数字まであと-1.5kg。なんとも微妙な数字である。
当日は絶食であるしこの猛暑だ、道中の汗で少し水分の重さは抜けるはず。
確実に当日の朝トイレを済ませればさらに軽くなれることも視野に入れれば1週間とは言え絶望的ではない。
頼む、頼む頼む頼む。
私にあと少しの幸運を。
あの日の景色
小さい頃、旅行に行った。
今で言うリゾートホテルというやつで、当時としてはちょっとイカした最新のホテルだ。大浴場には温泉が湧いて、食事は地元の美味しいものが揃う。
価格帯としても贅沢をしたのだと思う。
海が近くて、ホテルで水着を着てすぐに遊びに行けた。
幼いというのは残酷である。
あの贅沢な数日を、ご馳走を、海を、価値を知らないまま泣いた。
海でなんて遊びたくない。大きなお風呂もつまらない。
帰ってゲームしていたい。
親は怒らなかった。困った顔して笑っていた。
それから旅行には携帯ゲーム機も持っていくことになった。
今、もしあの日に戻れたなら。
私はきっと疲れて眠気に負けるまで海で遊んだことだろう。
願い事
今年の七夕はやけに取り上げられるな、なんて思ったらなるほど年も入れて777らしい。
七夕ではなく、スリーセブンが注目されているわけだ。
パチ屋には人が並び、婚姻届は届けられ、なんだか人々は浮かれている。ついこの間まで日本滅びる! なんて騒いでいたのにだ。
これで大安であったならどれだけの縁起担ぎになるだろうか。
赤口の文字が居心地悪そうに日付の隅に縮こまっている。
日本人はイベントが大好きだ。
宗派も国もなんでもいい。楽しければ。どこの文化だろうと全部受け入れて笑えるのは他にはない魅力だろう。
わたしにはスリーセブンの波に乗れるほどのアンテナは無かったわけだが、今年は七夕の短冊を書いた。
お寿司がいっぱい食べられますように。
私欲である。