同情
同情なんてされたくない、ふつう
俺を見下してるのか、って思ってしまう
おまえまで俺を馬鹿にするのかって
でも、本当に
苦しいとき
つらいとき
助けてほしいときは
同情してほしい
見下していようが
馬鹿にしてようが
そんなこと、どうでもいい
とにかく俺の話しを聞いてほしい・・
人ってむずかしい
枯葉
枯葉をみて何を思う?
はかなく思う
むなしさを感じる
人生の機微を知る
死して人びとに語りかける
枯葉のようにありたい
自分がいつか旅立った時
息子たちに
何を残せるだろうか
静かに
生き様をみせる
この枯葉のように
今日にさよなら
明日になれば、勝手に今日とはさよならできるはず
ならば、なぜあえて「その言葉」を使うのだろう
今日がつらかったのかな
切り替えたかったのかな
忘れたかったのかな
だから、さよならしたかったのかな
明日があるさ、とか歌にもあったけど
そんな簡単に言わないでほしい
何年も、いや何十年も忘れない、抜け出すことが
できない思いをひきづっている人もいる
そんな人達の「今日」は止まっている
さよならできないでいる
それでも
いつか
さよならと言える日が
来るのを
こころから
願っています
お気に入りの服
お気に入りのカバン
お気に入りの人
あらゆる「お気に入り」に囲まれている時は
とても幸せ
そこでひらめいた
いろんな人を幸せにするには
自分がその人たちの「お気に入り」に
なればいいんだ
でも、
お気に入りになろうとし過ぎると
あざとい奴、と思われるかもしれない
お気に入りになろうと考え過ぎると
自分が自分でなくなって
肝心の自分自身が幸せでなくなるかもしれない
自分が幸せでないのに
人を幸せにできるはずなんてない
う −ん、アタマが痛い・・・
とりあえず
お気に入りに囲まれて
幸せな気分で寝るとしよう
誰よりも輝いていたい
誰よりも強くありたい
誰よりも優しくありたい
誰よりも、誰よりも、誰よりも・・・
そうやって誰かと
比べてしまっている時点で
それは本当の自分ではない
もう比べるの、よそうよ