『この世界は』とは、ずいぶんと壮大なテーマが来たものだ。
私の世界は自宅で完結する。
ブランケット、へたったクッション、コーヒー、ラジオ……スマホ片手にごろ寝する態勢を整えたスペースが私の主な世界だ。
外の世界では常に部外者。
生きていく便宜上外にも出るし、世間のニュースへの関心もそれなりにあるが、世界との一体感なんて持ったことはないし、遠く広がる世界へ羽ばたきたいと想いを馳せることももはやない。
ずっと狭く小さな世界で生きている。
ここまでくると死ぬまで変わらないだろう。
私にとってのこの世界はごろ寝するところで、結果論だがそれはそれで悪くない。なんか欠落している気はするけど。
『この世界は』
後悔、疑問、驚き、怒り、自責。
「どうして」にも様々な「どうして」がある。これから書く「どうして」は卑近な疑問だ。
書く習慣アプリで投稿したり「もっと読みたい」を押すと、広告が出る(出てこないときもある)のはご存じのとおり。
そのときアプリの動画広告が出てくると、個人的にはがっかりする。たまに珍現象が起こるからだ。
途中で出てくるスキップ>>|や閉じる×を押すと、通常は広告の最終画面になるはずなのだが、毎回ではないにしてもGoogle Playに飛ばされることがある(Android端末を使っている)。
確かに>>|や×を押したつもりなのに、よっぽどピンポイントで押さないといけないらしい。
飛ばされても簡単に戻ってこられるのならいいが、ひどいときは戻って画面の×を押すとまたGoogle Playへ飛ぶ。
使い始めた当初は行ったり来たりして、広告のアプリをインストールするまで永遠にこのループから逃れられないのか?という疑念まで頭をよぎった。
結局、辛抱強く動画を眺めて最後の画面を待ち、×を慎重に押すことでやっと終わる。
最初から素直に待てばいいと言われればそれまでなのだが、この現象への疑問を表すなら「どうして」より「なんでよ」に近い。
それとも私の指が太いのだろうか。
『どうして』
憧れは憧れのままにしておきたいほう。近づきすぎると醒めてしまいそうだから。憧れるからこそ微妙に距離をとってしまう。
一方でいつかどっぷりハマれる推しに出逢い、推し活というものをしてみたい願望もある。
『夢を見ていたい』
必要のなさそうなリニューアルをする商品をちょくちょく見かける。
例えば洗濯用洗剤。
現状で満足の固定ユーザーがいるのに、成分や香りをリニューアルしたという名目で定期的にパッケージや名前をちょこっと変えてくる。
結局、汚れ落ちは誤差の範囲であることが多く、香りが変わったことにショックを受けた人の口コミが並んでいたりする。
香りも例えば、洗いたてのシーツの日向の香り、とか、朝露を含んだ白百合の香り、みたいなひねった名前になっていて字面からは想像もできない。
それでいて好みではない匂いだとがっかりくる。
全然詳しくないが、あれはマーケティング戦略なのだろうか。
新発売の広告で新規ユーザーを獲得して、その人たちが慣れたころにまた変えるとか。新しいボトルを買ってもらうためとか(詰め替え用だけ買って古い容器に入れる人もいそうだが)。
賢い人たちの考えることはよく分からない。
『ずっとこのまま』
寒さは年を取るほど身に染みる。
個人差はあるにせよ、若いほうが代謝や血行がいいからかもしれない。
歳を重ねて芯から冷えるようになった。
布団に入っても足先が冷えていると、うまく眠りにつけない。
あと意外なところでは鼻が寒い。なんだか冷えるな、と思って鼻を触るとひんやりしている。足元と違って対策に困る。
体には10代の頃にはなかった肉がついているが、たとえ脂肪を身に纏っていても寒いものは寒い。
脂肪は防寒着にあらず。夏はめっぽう暑くて冬は普通に寒い。
今夜も冷える。
『寒さが身に染みて』