とうとう彼女は爪先立ちになって、腕を伸ばした。あともう少しで、青い実を掴めると思った時には、震える足先に合わせて指先も震え出した。
青い実しか見えていない彼女の横顔を、僕はじっと遠くで眺めた。彼女は爪先さえも青い実に届かず、もどかしさに歯を噛み締めている。歯軋りに合わせて眉間に皺を寄せたが、木漏れ日に当たる額の白い輝きに思わず目を細めた。
突き上げた丸い顎から伸びていく白い首は、実にしなやかだ。胸や腹まで沿って身体に曲線を描いている。単なる曲がった線ではない。そよ風と木陰、それに彼女の鼓動と神経に身体が揺れ動いている。
その動きがよく分かる手先は、ずっと眺めていても飽きない。未だ実を取れずにいるから、広がる手のひらは白い蓮のようにずっと咲いている。影と陽光が繰り返し明暗を生み出すたびに、花は極彩色に咲き乱れていく。このまま、あの実を掴めずにいればいいのにとまじなってみた。
「ねえ、お願い。あの梅の実を取って」
「梅の実なんてどこにあるんだい」
彼女は不機嫌になって、せせら笑う僕に振り向いた。
「どこって、私の目の前にあるじゃない」
「それはアンズの実だよ」
僕は仕方なく椅子から立ち上がって、彼女のそばに近づいた。少し腕を上げて、アンズの実を指で摘む。硬い実から生える柔らかな産毛は、何度触っても心地が良い。
「私も触りたい」
「君のこめかみと同じ感触だよ」
「はあ、その実を取る気はないのね」
「自然と落ちたものを拾ってあげたほうがいいよ。君も、そうやって僕をすくってくれたじゃないか」
木陰から一筋の光が差していく。照明が当たったように、僕の姿は光に包まれた。
彼女は眩しそうに目を細めて微笑んだ。そういえばそうだったと思い出したかのように、僕の腕を掴む。アンズの実から離れた僕の指に触れて満足したのか、そのまま手を握ってくれた。
(250508 届かない……)
夕暮れ、
木造の平屋の中、
生成の土壁と黄緑の畳、
開け離れた障子から光る木漏れ日、
飾りのない壁に映る草木の影、
壁を撫でるように揺れる木陰、
夕風に合わせて弾き合う葉先、
ざわざわとぱちぱちと影から響く音、
私の手をかざしても受け入れる白い木漏れ日、
影に咲く五本指の真っ黒な花、
黄昏時に咲いた私の黒い花は、
緑陰から伸びる夜のとばりに包まれて消えた。
(250507 木漏れ日)
Björkの’All Is Full Of Love’ほど、最高のラヴソングはないでしょう。私はたまに本を抱きしめながら、その至高の愛を聞いています。
(250506 ラブソング)
私、手紙に花びらを入れるのが夢だったので、
あなたのおかげで叶えられました。
そう書かれた手紙を引き出したと共に、封筒から大量の木屑が飛び出してきた。どうやら、削り花の花びらのようだ。彼女の体臭が染み込んだ木の香りがする。桃のような香りがしたので、今度は彼女の白い二の腕を想像しながら嗅いでみた。
(250505 手紙を開くと)
今日一日中、外に出た私は人間の瞳を見たか。
いったい、何人ぶんの瞳とすれ違ったか。
振り返ってみても、そこには虚像しかなかった。
人間がそこにいるという情報しか見ていなかった。
(250504 すれ違う瞳)