この12ヶ月間は、よく転んでいた。
運命に悪戯された穴につまづいては転び、何も無いところでも転んでは大厄の歳をその身で知り、酷い時は自ら墓穴を掘った上、その穴に盛大に転びもした。
当然、満身創痍だ。一度は肋骨が疲弊骨折しかけたが、何とか無事でいる。足の傷やアザよりも、私の後ろにある穴ボコだらけの道がとても痛々しい。
だが、ただでは転ばない。
そうあらゆる内臓を煮えたぎらせ、倒れたまま転んだ先を見上げた。その先には、いつも芸術が立っていた。
マリー・ローランサンもオルフェーヴル号も志賀直哉も新美南吉も山本有三も小泉八雲も身身身ちゃんも谷崎潤一郎も、私の視線の先で待ってくれていた。
土塊と共に立ち上がった私は、彼らの芸術的遺伝子を授かりたくて、自らもう一度地に膝をつけて頭を垂らした。
いついかなる時も、例え足が折れようとも、彼らの芸術がこの血潮にある限り、私は何度でも立ち上がるとたましいに刻んだ。
再び顔を上げれば、天空に鴎が一羽孤独に飛んでいる。古今東西、波紋響く海面に映る鴎の影に向かって、私は一緒に羽ばたきたくて歩み出した。
(241230 一年間を振り返る)
どうしても、手の内で転がして投げて遊びたくなる果物。
古代中国では親しい人に果物を投げて愛情表現をする習慣があったらしいので、いつかは私の愛すべき人に蜜柑を投げて贈りたい。
(241229 みかん)
冬休み初日に、風呂場のドアが壊れた。
正しくは、ドアのレールが経年劣化により破損した。まさか長年蓄積されたカビや汚れを排除しようと、念入りに掃除したら壊れたという流れではなくて本当に良かった。
こうやって冷静に振り返っているが、数時間前まではドアを上手く戻せずに、周囲に撒き散らすように罵詈雑言叫んでいた。2時間も、2時間もレールにはまらないドアに向かって罵倒していた。
こんな年末があって良いのか、いやそれだけは絶対に嫌だと完璧主義の私が許さなかった。
だが夕方になれば腹が減る。人間どんな感情であれ空腹には抗えない。
カロリーメイト4本を腹に満たしたおかげで、ようやく頭が回り、浴室のドアの部品を交換すれば良いとネット注文をして今眠りに就こうとしている。
年末年始も働く人への感謝は尽きないが、20年も家の者の入浴を愚痴ひとつ溢さずに見守ってきた折戸にも労わらなければならない。
(241228 冬休み)
漆の手形。
漆黒の手のひら。
射干玉のたなごころ。
濡羽烏の指先。
黒檀の手先。
黒き手の魔力に虜になったのは、いつからだったか。
物心ついた時には男女年齢問わず、黒の手袋を覆った人手に目を奪われていた。
たおやかな指先も、ますらおな手先も、その双方を兼ね揃えた手つきも、みな黒一色に染まると芸術品になってしまう。
うちなる影を手のうちに落としているからだと観れば、なるほど、だから相対して中性的な美を感じるのか。
(241227 手ぶくろ)
うろこ雲から積雲に移ろいゆくことも
星が凍てつく煌めきを放っていることも
母子の頬にそっくりの林檎の赤みが熟れたことも
炎天下舞う蝶の羽ばたきの風が止んだことも
虫の音から寝息が聞こえてくることも
自らの息の色が冬景色を彩る美しさになることも
気づかずに、変化なき生き物はいないと言えようか。
スマートフォンを見ても、AIに聞いても、
変わりゆくものの答はそこにはない。
(241226 変わらないものはない)