レド

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7/17/2022, 1:17:41 PM

 電車に乗る。イヤホンをつける。YouTubeを開く。「後で見る」リストの、一番上の曲を再生する。
 中学の頃から変わらない、私のルーティンの一つだ。
 友達も少なく、進路のために毎日放課後を勉強に費やしていた私にとって、帰りの電車の中で一曲だけ音楽を聴くことは、一日の終わりのささやかな楽しみだった。
 気になった曲は、とりあえず「後に見る」リストに追加。常に三十曲ほどが常備されたリストの、古いものから順番に消費していく。イマイチ響かない曲もあるし、パッと見たときには好きそうな感じだったのに聞いてみるとそれほどでもない曲もある。でも、たまに、心の奥底の、自分ですら覗いたことがないような深いところを震わせてくれる曲に出会えるから、このルーティンはやめられない。
 社会人になった今でもそうだ。帰りの電車の中で、一曲聴く。どんなに疲れていても欠かしたくはない。
 今日も、各駅停車の隅の席に腰を下ろすと、イヤホンを耳にはめた。全身から湧き出すような疲労感が、流れ出す音楽と混ざり合って溶ける。
 ギターをベースにした、穏やかなリズムの前奏。どこか夜を連想させるメロディに、横文字を織り交ぜたよく言えばお洒落な、悪く言えばチープな歌詞。
 私が学生時代、一番よく聴いた曲のリミックスだった。
 乗っている路線も、見える景色も、抱えているものも何もかも違う。それでもあの日、勉強に草臥れた頭と心を心地よく揺すった音楽は、懐かしい旋律となって私の激務の終わりを彩る。
 画面から顔を上げて、ぼんやりと車窓を眺めた。窓に写る私は、少し泣きそうな顔をしていた。

7/16/2022, 9:33:21 AM

 温くなった水は心なしか鉄くさいような味がして、喉の内側を伝う不快感に思わず眉を顰める。注がれたときには冷えていたことを示すように、コップの外側には水滴がびっしりと浮かんでいて、手のひらを喉に這わせるとじっとりした感触があった。
 お冷がただの水に変わるだけの時間が経ったというのに、目の前の席は空いたまま。混み合った店内、慌ただしく客や店員が行き交う中、そこだけがぽっかりと空いた穴みたいだ。
 隣の席が俄かに騒がしくなって、つい目を遣ると若い男女が二人、顔を寄せ合ってメニュー裏の間違い探しを覗き込んでいる。ここでもないそこでもないと、子供みたいな笑い声を立てて、二人は視線を交わす。
 胸の奥にさざ波を感じて、私は逃げるようにスマホ画面に目を移した。ただ時間を潰すことだけを目的にしたパズルゲームに、レベルクリアの表示。クマのキャラクターの愛嬌ぶった目が、無意味に癪に障る。
 カランと来店音がして、弾かれたように顔を上げた。そこに無邪気にはしゃぐ子供を抱えた親子の姿を認めて、私は先程の反射的な仕草を誤魔化すようにさりげなく顔を伏せた。
 帰ろう。私は席を立つと伝票を掴む。
 レジで会計をしている間に、店員がテキパキとコップと空の器が乗ったテーブルを整える。店を出るときにはもう、穴は塞がっていた。
 終わりにしよう。その言葉を言いたくて彼を呼び出したというのに、そんな挨拶までさせてもらえないなんて……本当に最初から、私のことなんてどうでも良かったんだ。
 最後の期待をかけて、スマホを見る。通知はゼロ件。パズルはタイムオーバーで失敗。クマが憐れむように憎々しく肩を落としていた。