#ひそかな想い
人の名前を覚えるのが苦手だ。名乗ったり、相手の名前を改めて聞いたりするのはもっと苦手だ。
そのことに気付いたのは、高校生の時。
高校の三年間、クラス替えがなかったにも拘わらず、あまり交流がないクラスメイトの名前は覚えることができないまま卒業した。
でも、中学までの同級生はほぼ全員フルネームで覚えている。
なぜなら、幼小中一貫校だったから。しかも、校則で名札を付けることを義務付けられていた。
名前が分からなくても名札をチラ見すればいいという状態で、何年も顔触れが変わらないのだから、同じクラスになったことがない人でも、いつの間にか覚えているものだ。
そんな私が社会に出てから編み出した名前の覚え方がこちら。
例えば、初対面の人の名前が鈴木太郎さんだった場合。
まず、私の中の人物リストを参照します。
(このリストは、これまでに出会った人と、私が読んだ漫画や小説の登場人物のみで構成されています。)
リストの中に、鈴木花子という名前があったので、太郎さんと花子さんを紐付けます。
鈴木太郎さんと話す時は鈴木花子さんを思い浮かべます。
しばらくすると、太郎さんの名字が鈴木であることを覚えることができます。下の名前は記憶の彼方ですが、これは仕方ありません。
なお、初対面の人の名字がリストになかった場合、覚えられません。諦めましょう。
#あなたは誰
小学生の時の国語の教科書に載っている物語で、とても記憶に残っているものがあります。
ひとつは「お手紙」です。
これは、私が五歳くらいの時に姉が音読の宿題で読んでいたのを聞いて大好きになった作品です。当時、姉の教科書を拝借して何度も読んでいました。
あらすじを簡単に説明すると、手紙を貰ったことがないと嘆くガマくんに、親友のカエル君が、かたつむりくんに頼んで手紙を配達してもらうという内容です。
幼い頃はとても大好きでしたが、時の流れというのは残酷なものです。
小学二年生になって、授業で久しぶりに読んだ感想は、「なぜかたつむりに頼んだ?」という現実的なものでした。
かたつむりくんに配達を頼んだため、ガマくんのもとに手紙が届くまで四日もかかったのです。(かたつむりにしては頑張った方だよ…。)
そして今日久しぶりに読んでみましたが、送り主であるカエルくんが隣にいる状況で手紙を受け取るという微妙さ、さらに手紙の内容はすでにネタばらしされているというコレジャナイ感が凄かったです。
もうひとつは「赤い実はじけた」です。
こちらの作品、実は「キャンディ・キャンディ」の原作者である名木田恵子さんによって書かれたものなのです。
あらすじは、小学六年生の綾子が、クラスメイトの哲夫が実家の魚屋を手伝っている姿を目にして、綾子の胸の中で何かがはじけるという、所謂、初恋物語というやつです。
恋に落ちた瞬間を「赤い実がはじける」と比喩的に表現するという、女の子には印象深い作品だったと思います。
ただし、私の場合はちょっとしたトラウマとして記憶に残っています。
国語の授業ではよく丸読みをしていたのですが、恐らく誰もがここだけは読みたくない!と思っていたであろう箇所を読む羽目になってしまったのです。
その箇所は――。
"パチン。思わず飛び上がるほどの大きな音を立てて、胸の中で何かがはじけたのだ。"
ご存じの通り、丸読みは、文の句点「。」が来たら読み手が交代する音読法です。
そうです。
"パチン。"
この部分だけ。恋に落ちた瞬間のオノマトペ。
クラスメイトに、私自身の赤い実がはじけたように思われてしまうのではないか?という羞恥心で一杯でした。
普段ならある程度大きな声で音読していた私でも、小さい声になるってなもので、案の定、教師に「ここはもっと大きな声で読みましょう」と注意されてしまいました。
せめて、段落読みだったらそこまで意識せずに読めたのに…!
そして物語は、"綾子は、今夜、千代に手紙を書こうと思った。"という文章で締め括られるのです。
千代は、一歳年上のいとこの女の子です。
私は初恋云々より、同年代とは言え親戚の子と手紙のやり取りをするということに衝撃を受けました。
#手紙の行方
今、YouTubeでカーペンターズの「I Need To Be In Love」を聴いています。
邦題は「青春の輝き」
原題をもっと尊重しようぜ?と突っ込みたくなる日本語訳ですが、私は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳すのと通ずるものを感じます。
日本人は照れ屋さんだから、愛を直訳できないんだよね。
さぁ、皆さんもカレンの美しい歌声に癒されましょう!
#輝き
さて、妄想のお時間です。
もし時間軸系奇跡を起こせるのならば。
誰もが一度は脳裏をよぎったことがあるはず。
だが、時間停止は奇跡としての規模はともかく、メリットはあまりないように思う。
私の妄想力レベルが低いせいか、誰かが事故に遭う瞬間の時を止めて救う…くらいしか善行が思い付かないのだ。悪行ならば、いくらでも思い付くのだが。考えすぎて、時間停止は犯罪者向きな奇跡だとすら思えてきた。
そもそも、時間を停止したとして間に合うのか?停止した時点で既に事が起こってしまっているのではないか?リカバリーは可能なのか?
結論。
奇跡を望むのであれば、「時間よ止まれ」ではなく、上位互換の「時間よ巻き戻れ」である。
正直、「時間よ巻き戻れ」的なことは常日頃考えていて、今流行りの異世界転生と時間巻き戻りは私の妄想ネタランキングのツートップである。
ちょっと具体的に語ると、3歳の頃の自分に巻き戻りたいと考えている。もちろん記憶は持ったまま。
そうすれば今よりもかなり安定した生活を過ごせるように将来に向けて努力することができるし、姉の病気も早期治療できたのではないか、などと考えてしまう。
そして、もし時戻りが実現したら絶対にやろうと思っていることがある。
それは英会話学習である。
日本人として、日本語は素晴らしい言語であると自信を持って言えるが、英語ができれば世界が広がると確信している。
なにより、英会話できる私かっこいい!(本音)
こうして日々の時間軸系妄想は留まることを知らないのである。
#時間よ止まれ