『あなたのもとへ』
案外、海水って冷たくないなって思った。荷物もスニーカーも砂浜に並べて少しずつ深いところへ歩いていく。
綺麗なとこじゃないから、濁ってて、そこらじゅう海藻が浮いてて気持ち悪い。でも、どうだっていいか。
水を吸ったズボンが重たい。足を引きずるように奥へ、奥へ。胸元まで入った時、小雨が降りはじめた。
黒い、どんよりとした雲。それは私の心のように思えた。分厚くて光が届かない場所にいる。
首まで浸かって、私は手を空へ伸ばした。迎えにきてほしいの、あと少しの勇気が出ないから。
『あなたのもとへ』連れて行って…。
口元まで入って、泣いてみても、足は滑りそうもないし、先に進めない。怖い。怖い。
その時、きらきらと光る魚がスっと泳いでいった。
ああ、帰らなくちゃ。そうだ、私にはまだ。
あの子に教えていない事があったから。
小さな手を離すには、早すぎる。
『あなたのもとへ』はまだ行かない。
やり残した事を、こなしてからで。
『そっと』
ごめんね。
今日のお母さんは、ダメなお母さん。
どうして落ち着いて聞いてあげられなかったんだろう。
忙しかったけれど、5分、10分手を止めても良かったのに。
この子なりの表現を、なぜ一旦受け入れなかったんだろう。
選択肢をいくつか準備してあげたら、結果は変わったのに。
ぐちゃぐちゃになった部屋を片付けながら、反省してた。
ごめんね。
今夜のお母さんは、泣き虫お母さん。
寝ていると小さく見える、我が子の横に潜り込んで。
そっと、そっと、抱きしめる。
ごめんね。
きっと…、きっと明日は、優しいお母さん。
『あたたかいね』
お風呂嫌いの娘を、お風呂に誘う方法はただ一つ。
たくさんのおもちゃを持ち込む許可を出すことで。
ガチャガチャのカプセルやら、水風船やら…
明日になったら、またザルにいれてベランダ干し。
飽きるほど遊んでいるのに、また水を入れては
ジュース屋さんやら、ポケモンごっこをしている。
『ママもしようよ!』なんて言われたら、もう
『早く上がりたい…』と、心の中でため息連発。
せまい湯船に二人、邪魔なおもちゃを掻き分けながら。
唯一良いと思うことは、お風呂の後布団の中で。
『あたたかいね』と温もった私の太ももに
娘の可愛い小さな足が入ってくること。
モゾモゾ、こちょばいけど、ふふ、幸せね。
『未来への鍵』
神様みたいな人かな、そういう人が私の前に立って
鍵を2つ渡されたとして。
1つ目は『子どもを一生産めない未来への鍵』
2つ目は『発達障害の子を育てる未来への鍵』
私はドアの前に立って考えている。
ずっと子育てをしたいって思ってた。小さい頃からお母さんになりたいって思って、意味もなく育児本を読んだりしていた。
憧れていたお母さんは、優しくて穏やかで、叱るけれど、怒鳴らずに諭す、笑顔いっぱいの人。家はいつも綺麗なんだ。
自分の母のようにはならないようにと、いつも考えていた。舌打ちする母は苦手だった。
私はきっと2つ目の鍵で、ドアを開けるだろうな。
『発達障害』なんてよく分からないまま『大丈夫、何とかなる、私なら大丈夫』そんな言葉を呟いて。
綺麗事は言えないし、言わない。
今なら迷わず1つ目の鍵を選ぶ。悲しいけれど、それが今の私の気持ち、誰にも言えない本当の思い。
いつかこの子を育てて良かったと思える日まで。
いつか…、きっと、いつか。
『星のかけら』
星のかけらとは、関係ないけど。
『星の砂』の小瓶は私の宝物だった。
カラフルな砂の中に小さな星が入ってた。
そこに埋まったり出てきたりしてる、ヤシの木。
お土産で貰うと嬉しくて、机に並べて飾った。
オレンジの砂も綺麗だけど、やっぱり青が好きかな。
海みたいで素敵だから。
今の若い子は知らないだろうな〜なんて思ってたら
この前サービスエリアでこっそりと売られていた。
懐かしくて、ついつい手にとった。買わないけど。
やっぱり青が良いね、海みたいでヤシの木に合う。
『ママ!それ買うの!可愛い、星が入ってる!』
ふふふ…これはね、落ちてきた星が入ってるんだよ!
なんてちょっと冗談を言ってみたり(笑)
……!そういえば、この冗談は…!
お土産をくれた叔父が言った言葉だ!!
しばらく騙されていたんだった!!(笑)