『あなたのもとへ』
案外、海水って冷たくないなって思った。荷物もスニーカーも砂浜に並べて少しずつ深いところへ歩いていく。
綺麗なとこじゃないから、濁ってて、そこらじゅう海藻が浮いてて気持ち悪い。でも、どうだっていいか。
水を吸ったズボンが重たい。足を引きずるように奥へ、奥へ。胸元まで入った時、小雨が降りはじめた。
黒い、どんよりとした雲。それは私の心のように思えた。分厚くて光が届かない場所にいる。
首まで浸かって、私は手を空へ伸ばした。迎えにきてほしいの、あと少しの勇気が出ないから。
『あなたのもとへ』連れて行って…。
口元まで入って、泣いてみても、足は滑りそうもないし、先に進めない。怖い。怖い。
その時、きらきらと光る魚がスっと泳いでいった。
ああ、帰らなくちゃ。そうだ、私にはまだ。
あの子に教えていない事があったから。
小さな手を離すには、早すぎる。
『あなたのもとへ』はまだ行かない。
やり残した事を、こなしてからで。
1/15/2025, 10:02:00 AM