子どもの頃のこと。
夏、夜明け前に目を覚ました。
パジャマのまま外に出て、家の前の静かな空間に立ってみる。
鳥もまだ鳴かず、風もなく、歩いている人も車もいない。
自分以外の時間が止まったような、奇妙な感覚だった。
なんだかとても孤独だった。
家に入れば寝ている家族がいるし、あと何十分もすれば日は昇り鳥たちも囀るだろう。
だけれど夜と朝のほんの隙間の時間は、孤独だった。
そしてこの孤独な瞬間が、私は存外好きだと思った。
「カレンダー」というお題を見て
ふと部屋のカレンダーのことが頭を過ぎる。
やはり、そうだ。
私の部屋のカレンダーは
8月で時を止めたままであった。
貝殻を耳にあてては潮騒の
音と戯る 秋のはじまり
夏終わっちゃうのさみしい(´・ω・`)
どこで覚えたのか巻貝を見ると耳にあてることが習慣化している。
巻貝の中を振動し、耳へは潮騒の音が届く。
この潮騒は人間の体内を巡る体液や筋肉の動きの音だと聞いたことがある。
耳を両手で塞ぐと流れる、ごぉ、という音。
これもまた似たような音がする。
私たちの中には海がある。
聞こえる潮騒は、内側の海の声。
些細なことでも
「うれしい!」
「たのしい!」
「しあわせ!」(※大好きでも可)
と思えた方がきっと人生楽しくなるよね
もちろん人によってその感覚は違うけれど
求めすぎると苦しくなる。
人と比べるから求めてしまう。
今目の前にあることを自分の視点で見直すと
案外簡単に尺度は変えられるかもしれない
誰かの何気ない一言
ふっと目に入った言葉
あとは例えばここで出会う誰かの文章
今自分が必要としていたメッセージと無意識に出会えた時、言葉は心へふっと灯りを灯す事がある。
時に背中を押し
時に温かく包み
時に優しくも厳しい気付きを与える。
今「書いている」ことは全く無駄なことでは無い。
万人に響かなくても
たったひとりの心が灯るのなら
それはなによりも尊いものだ。