「手放す勇気」 #4
とても好きな、大切なものがあるとしよう。
ともすれば、それが己にとっての基準となる程の。
たとえそれが間違っていたとしても、世界の方が間違っているのだと錯覚する程の。
私は、それを持ってしまったようだった。
周りに話せば、返ってくるのは否定だけ。
「同性なんだから」「どうせ本気じゃないんでしょ?」「なんの冗談?」「歪んでるよ」「何それ」
手放すべきだと、手放さなくてはならないと分かっていた。
けれど、そんな勇気はないのだ。きっと捨ててしまったら私は私ではなくなるのだから。
そして、その必要もなくなった。仲間が、同じ人がいたから。私を、否定しなかったから。
私は、同性への恋情を持ってしまったようだった。
そして、手放さない覚悟を手に入れたようだった。
「光輝け、暗闇で」 #3
暗い、暗い、くらい、くらいくらいくらい―――
何もない暗闇の中、心がざわざわと耳障りな音を立てる。
何もないのに、何もないからこそこれ以上ないような恐怖の闇に侵食されてゆく。
ピロン♪
闇に侵されゆく音を遮るように、スマホからこの場に似つかわしくない音がなる。
私は縋るように手を伸ばす。
LINE・現在
―― ―――
まだ起きてる?
この1件の通知をきっかけに、この部屋と私の心に一筋の光が差す。
そしてそれは、一筋からあっという間に広がって、眩いほどの輝きとなる。
ざわめきなんてもう聞こえない。
私の全ては今、あなたの声だけに集中する。
「酸素」 #2
人は、生きるために酸素を要する。
私は、生きるために貴方を要する。
酸素がなければ、人はものの数分で命を落としてしまう。でも、私の酸素が私のそばにあるのはいつも一瞬。だから私が生きているのは、ほんの僅かな時間だけ。
何度も死んで、何度も生きる。あなたが触れる度に、言葉を紡ぐ度に、私に命を吹き込むの。
ねえ、酸素さん。
いつもそばにいて私を生かしてなんて我儘は言わないわ。でも、だけど、せめてあなたを求めることを許して。遠くてもいいから、そばにいてよ。
私のこと、見捨てないでよ、
「記憶の海」 #1
あなたは、覚えているのだろうか。
お揃いの泣き黒子、あの日の一段と高かった体温、一緒に読んだ本、インスタのノートに流した曲。
あなたは、忘れているのではないか。
告白されたこと、1ヶ月記念日、私の趣味、私との関係性、私の存在でさえも。
あなたとの会話のひとつひとつが私にはたまらないのに、あなたの言動のひとつひとつで私はこんなにも揺らぐのに。
私にとって甘くて苦くて仕方のないそれが、あなたにとっては味など感じられないものなのかもしれないだなんて。
なんて残酷なんだろう。酷く痛むような気がした胸から目を逸らして、今日もあなたとの「記憶の海」に溺れて眠りにつくとしようか。