以前、詩人(自称)の知人と話していた時だった。彼が「的を得た意見…」と言ったので、話が途切れるのを待って、「ちなみに…“的を射た”が正しいですけどね」と指摘した。自称詩人の(クセに)彼は納得してなさそうだったが。
自分の日本語に自信は無いから、このような場合揚げ足を取るような指摘をするかしないかの基準は曖昧だ。でももしかしたら相手を見て、嫌われてもいいやと思ってる人にだけ指摘してるのかも(笑)。
最近はニュースアプリの記事などでもこの誤用誤植はよく目にするから、もうじき本来の意味は忘れられて、“的を得た〜”が主流になっていくんだろな。
言葉は時代で変わってゆくものだから。
書き初めに姪の選んだ一字「諦」
脇に小さく「めない」の送り😆
#終わり、また初まる、
星一徹・飛雄馬父子の物語は
どんな結末だったんだっけ?
#星
会えぬ夜は吐息を白い薔薇に変え
部屋に飾ろう君想いつつ
(小林明子 ♪恋におちて~Fall in love)
#願いが1つ叶うならば
「ああ…」と音読したら、フォークデュオ、ふきのとうの名曲♪青空 を思い出した。若い頃何度も唄った曲だ。懐かしくなって自室でひとり、久し振りに気持ちよく熱唱した。ギターの伴奏とハモってくれる人がいたら最高だったんだけど。
アコースティックギターのアレンジが素敵な曲で、弾き語りしたくて練習したけど、結局ちゃんと弾けるようにはならなかったな。
♪ああ なんて 今日は長閑な日だ
なんて 幸せそうだろう
今日も 大空に絵を描くんだ…
(ふきのとう ♪青空)
#嗚呼
昭和40年代末頃だったろうか、僕は初めて自分だけの秘密基地を手に入れた。冷蔵庫(洗濯機か)が入っていたダンボールの大きな箱。
買ったのか何かの付録か、おもちゃの潜望鏡みたいなモノを天井から突き出し、周囲を偵察したりして悦に入っていた。
六十余年生きてれば、あの時以上の高揚感や幸福感を感じた事は、たぶんたくさんあった筈だと思うけど、至福の時間として記憶している。
教えたいのに知られたくはないそんな
ふたりだけの秘密の花園
#秘密の場所