★1975年秋、広島東洋カープは悲願のリーグ初優勝を成し遂げた。
この年の夏、赤いヘルメットの、ちょっと垢抜けない選手たちのオールスターでの活躍を見てカープファンになった中学生の僕。
当時はまだ、子どもの好きなもの=巨人、大鵬、玉子焼き、と言われていた時代だったが、天邪鬼な僕は、ジャイアンツが好きになれず(大鵬は既に引退、玉子焼きは嫌いになれなかった)、応援したくなるチームを探していたタイミングだった。
テレビの野球中継はジャイアンツ戦のみなので、もっぱらラヂオで観戦。カープ関連の情報源はテレビのスポーツニュースと週刊ベースボール。応援グッズは、帽子屋で買ったサイズの小さいカープの赤い帽子だけ。
試合のある日は、中継しているラヂオ局を探し、帽子を被り、一投一打に一喜一憂していた。
今でも時々居住地からは遠い広島や名古屋や大阪のラヂオ局で中継を聴くが、大事な場面に限って電波が悪くなるのはなぜなのだろうか。
★この間、君のかぶってた手編みの素敵な帽子...とても似合ってた。
もしかして...すぐ脱いでしまったからよく見れなかったけれど...もしかして?僕に編んでくれた帽子と同じ毛糸?
だったらいいな。違うかな?またかぶってるとこ見たいな。
#帽子かぶって
小学校時代、授業中進んで発言せず、指されて発言する時も声が小さい消極的な児童だったようだ(今もか)。
そんな性格を変えようとしたのだろう、担任教師は僕をいきなり学級長に指名した。
案の定、クラス運営はうまく行かず、僕は引っ込み思案で消極的、声も小さいままだった。
その経験に起因するものなのか定かではないが、今でもかしこまった席などで大勢の人を前に発言する時、息を吐いてばかりで吸うのを忘れ、窒息しそうになる。
いまそんな告白するかな どうしろと?
好きだったなんて言えるワケない
#小さな勇気
どちらかというと臆病である。そして独り言が多い。
ひとりでいる時は、ちょっとしたことで驚き、「わぁっ!びっくりしたなぁ、もぉー!ふざけんなよぉ!」と、独り言。
電話の着信音でビクッとする。誰も居ないと思って入った部屋に人が居てビックリする。虫はさほど苦手ではないが、風呂場や自室ででっかいムカデに遭遇して大ビビリする(これはみんな大抵ビビるか)。
動揺が収まると取り乱した自分が滑稽で、苦笑する。
独り言が多いことと、長〜い独身生活とは関連はあるのかな?
半身を断たれのたうつ大ムカデに 湯上がりの肌ゾゾゾゾッと粟立つ
#わぁ!
昨年亡くなった詩人の谷川俊太郎さんは晩年、死が怖くなくなったとインタビューだったか対談だったかで話していた。死後どうなるのか楽しみだと。
素敵な考え方だなと思った。
きっと谷川さんは“考えて”言っているのではなくて、そう感じ、そう信じているのだと思う。勝手な想像だけど。
谷川さんのように達観するのは難しいので、そう“考える”ことにしよう。死で現世での物語は一旦終わるけれど、死後また新たな物語が始まるのだ。
#終わらない物語
キミの嘘 騙されたフリ気づかぬフリ
長続きする訳はないよね
#140 やさしい嘘