脳みたいに心も取り出せたらいいのに。
いや脳みそもあんぱんのヒーローや、脳みそが本体のジュソシみたいに気軽に「はい」とは取り出せないけれど。……あんぱんのヒーローって顔を引きちぎってただけで脳みそは取り出してないか。そもそも脳みそあるのかな。あれか、心で考えるから頭じゃなくて胸にある的な。
「とりあえずあんぱんのヒーローから離れましょう」
「よく考えると、パンと動物と人間が互いに助け合って生きる世界って結構ぶっ飛んだ設定ですよね。今なら尾崎さんに止められる」
「あの世界は唯一無二ですからね。僕、あまりファンタジー得意ではないので」
果たしてあの世界はファンタジーなのか。魔法も何も出てこないけど。
この喫茶店は尾崎さんとの打ち合わせでよく利用する一つだ。女性作家の私に気を遣って、人目の多い場所を必ず用意してくれる。尾崎さんは仕事も気遣いもできる編集者だ。
「それで、心を取り出して色々見える主人公をってことですか」
「はい。体にくっついたまま心を見る主人公は多々いますが、物理的に取り出している主人公はいないなって思いまして」
「そりゃ、グロいでしょう」
尾崎さんの的確な指摘が私に突き刺さった。思わず胸の辺りを押さえる。
「医療関係の話なら、まぁ、心臓外科などありますし、物理的に心臓を取り出せますけど」
「それじゃあダメなんです!」
私はカッとなって大きな声を出した。
「心は、心臓と区別すべき大切な臓器の一つです。決して目には見えないし、脳みそと一緒と言われて仕舞えばお終いかもしれませんけど。人が人に対して慈しむ、慮るのであれば、心は存在して然るべきです」
私の必死な訴えに、尾崎さんは見開いた後一息ついた。
「なら、書いてください」
「えっ」
「僕が真っ先に読むので」
「でもまだ」
「決まったわけではありませんが、書かないと始まらないでしょう」
尾崎さんはスマホを見遣るとテーブルに広げたパソコンを閉じてカバンにしまい、冷めたコーヒーを一気に飲み干した。私も釣られるように資料やノートをカバンにしまい、アイスティーを飲み始める。まだ半分も残っていてすぐには飲みきれなさそうだ。
そんな私に、尾崎さんはフフッと笑った。
「ゆっくりしていってください。僕はこの後打ち合わせがあるので会社に戻らないといけないんです」
経費で落としますんで、追加ありますか。
優しく言う尾崎さんに私は首を振った。尾崎さんは立ち上がり、伝票を取った。
「では、また。先生渾身の「心」の物語、楽しみにしています」
尾崎さんはそのままレジカウンターまで歩いていった。会計をする尾崎さんの背中を見ながら、私は頭をぼんやりさせていた。
尾崎さんの言葉、かなりプレッシャーなんだよな。
口から離れたストローがグラスの中をカランと鳴らす。店を出る前に振り返った尾崎さんと目が合い、互いに会釈をして解散となった。
早く帰って捻り出さないと。
『ココロ』
「お願い!」
「絶対嫌」
「そこを何とか」
「嫌ったら嫌」
彼女は肩を落とした。
「そのジョリジョリ頭、触っても良いじゃん」
「良くないし」
「減るもんじゃないよ?」
「それ言う立場なの、俺な」
「星君の意地悪」
「何とでもどうぞ」
膨れっ面で不機嫌を隠さない、彼女の膨らんだ頬を指で突いた。
『星に願って』
私、見たんです
この世の人とは思えない、とても美しい男性が
背中から翼を生やして遠くの空へ飛んでいく姿を
君と同じ髪で、瞳の色でした
『遠く…』『君の背中』
「誰にも教えるなよ? この学校の校庭に、徳川埋蔵金が埋まってるらしい」
「へぇ」
「ヤバくない?」
「ヤバいな」
「やっぱ、ヤバいよな」
「ヤバいな」
「クレーター出来てんじゃん」
「埋蔵金粉々かもな」
「衝撃波って校舎壊れるんだな」
「初めてお前の遅刻癖に感謝したよ、オレは」
『誰も知らない秘密』
目を覚ました時、カーテンの外はまだ暗かった。ヘッドボードにあるスマホを手に取ってロック画面を表示させると、五時十六分の文字が浮かんだ。厳しい寒さが続くこの頃だと、朝日が昇るにはまだ早い時間だ。
私は隣を気にしてロック画面を消し、スマホを元に戻した。落ちないようにと毎日私を壁側に追いやる君の方へと体を向けた。
眠る君はいつも静かだ。歯軋りやいびきなんて聞いたことがない。呼吸しているのかすら不安になった時期に耳を寄せたことがあるが、それでようやく寝息を聞き取れるくらいには静かだ。
それでも寝る前にいつも繋ぐ手は、まだ解けてない。
ひんやりした空気が急に肌へ触れた。思わず身震いすると、君も同じタイミングで呻き声を上げた。
起こしてしまったか。
頭によぎった考えは一瞬で消えた。君は眉間に皺を寄せると私と繋いだ手にぎゅっと握りしめた。寝ているとは思えないほどの力強さだ。
悪夢でも見ているのだろうか。
魘されているわけではないから、多分そこまで苦しい夢じゃない。ただ何となく、私はここにいると教えてあげなきゃと思った。
私は腰まで下りていた掛け布団を引き上げて、私と君の首まで覆い直した。硬く握られた手を私もぎゅっと握り返し、引き寄せる。そのまま君の手の甲に唇を寄せた。
「愛してる」
リップ音は立てない。起こしてしまうから。
起きている時は恥ずかしすぎて決して口に出せない言葉が、自然と、心から溢れた。君には聞こえてないから卑怯かもしれない。だから、今度は必ず起きている時に言おう。
君の手を私の胸に近づけて、もう片方の手も添えた。夜明けは近いけどもう一眠りしてしまおう。
目を閉じる前に見た君の眉間の皺はいつの間にか取れて、先ほどと同じく小さな寝息を立てていた。その静けさが逆に安心して、眠気を誘われるだなんて。君にはまだ教えたくない。
『静かな夜明け』『heart to heart』