大嫌いなかぼちゃが夕飯に出た。
「かぼちゃは栄養満点なんだから今日ぐらい一つ食べなさい!」
目くじらを立てたお母さんが、私の取り皿にかぼちゃの煮物を一切れ取り分けた。そりゃあお母さんからしたら一口大のかぼちゃだけど。私からしたら巨大な台形型の天敵である。食感はモソモソするし、繊維だか何だかが口に残るし、なによりもったりした舌触りが気に入らない。皮付きで堂々煮付けられたくせに肝心の皮が全然柔らかくないのも憎たらしい。
私は顔を歪ませたまま、果肉の部分を箸で少し摘んで口に含んだ。しょっぱい煮物しか知らないからかぼちゃ独特の甘味に眉間の皺が寄る。
私の様子に見かねたお母さんが、鬼の形相で口を開く。
「そんなの食べたうちに入るわけないじゃない! 食べたくないならもうご飯終わってもいいんだよ!」
「やだ!」
「じゃあ嫌いな物も食べなさい!」
「やだ!」
「わっっっがままっ!!」
やばい、返事間違えた。
そう思った時にはすでに手遅れで、お母さんは私が次どんな行動を取るか見張る態勢になった。
さすがにこのまま平然と他のものを食べたら、私は明日からご飯がなくなる。
私はそう危機を感じ取り、半ばヤケでかぼちゃを一切れ箸で刺し、口に放り込んだ。噛めば噛むほどもたつく口の中を、冷たいお茶と温かいお味噌汁で飲み下す。嫌いな食べ物の、嫌な味が口に残る中、私は新しいお茶を注ぎに席を立つ。
「最初っから食べればいいんだよ。たった一個で大袈裟な」
グチグチと続くお母さんの小言に、私は何も言葉を返せなかった。ただ席に戻って、残りのご飯を飲み込むようにかき込んだ。
トウジにはナンキンとユズユ。
ここに「冬至」と「南瓜」、「柚子湯」が当てはまり、日本の年中行事であると理解できるまで十年以上は掛かった。
当時の母と変わらない年齢に達しても、かぼちゃへの苦手意識は克服できないままだ。だからかぼちゃの他に「ん」が二回繰り返される食べ物を食べると良い、という言い伝えを当てにして、ニンジンとレンコンのきんぴらを毎年食べている。
ご飯の後は、ゆずの香りが漂う湯船に全身で浸かる。ぼんやりと宙を見ながら、遠い日の記憶を思い出して悶絶する。超絶わがまま娘時代の私は黒歴史と呼ぶに相応しいくらい、高飛車で小生意気な小娘であった。
『ゆずの香り』
目の前に広がる景色には何もない
右も 左も 後ろも
四方八方に広がるのは無の世界
人も 物も 自然も
何もかもが存在していない
空っぽな世界
淡々と述べているとよぎる疑問
証明も 保証も
どこにも何もないこの世界
私はこの世界で生きているのか
実体のない魂だとしたら
それは存在していると言えるのか
答えが見つからないまま
時はいたずらに過ぎていく
『大空』
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(たいくう)
「今年の大晦日はベル何回鳴るんだろう」
「百八回って決まってんだよ。てか宗教上英訳は不味いだろ」
『ベルの音』
三人で一つの机を囲ってお弁当を広げたはずなのに、目の前の二人にしか分からない話題で盛り上がってる。私はいつもお喋りに夢中な二人より先に食べ終わる。
今日も食べ終わったから、本当は二人と分けようとしていたお菓子をチビチビ食べ始めた。
二人が喜ぶと思ったんだけど。
私がここにいる意味、ある?
『寂しさ』
「肉まん」
「ホットドリンク」
「ポットパイ」
「グラコロ」
「おでん」
「ラーメン」
「鍋」
「しゃぶしゃぶ」
「すき焼き」
「矢野は!?」
「こたつでアイス」
「それだ!」
「アイス買って帰ろうぜ」
「サーティーワンどこだっけ」
「セブンティーンでよくね?」
「あ?」
「え?」
「間取ってコンビニでダッツ買おう」
「部活帰りに他人様の家のこたつを訪ねるにしては人数多すぎない?」
『冬は一緒に』