初対面でコーヒーをぶちまけた貴方へ
私がまさか、ドジでマヌケなアンポンタンを絵に描いたような貴方と結婚するなんて思わなかった。
せっかちで、騒がしくて、慌ただしくて。
とにかく、貴方といる時間は気が休まらなかった。
子供たちの成人式の時、貴方のドジが遺伝しなくて心の底から良かったと安堵したの。きっと貴方のドジが移っていたら、あんなに可愛いお嫁さんと孫ちゃんとは出会えてなかっただろうから。
貴方を見送ってから長い時間が経ったと思ったの。スマホで確認したらまだ四十九日も過ぎてない。
庭付き一軒家なんて今どき流行ってないのに、見栄を張って買ってしまうんじゃなかった。
この家、一人で住むには広すぎるし静かすぎる。
貴方のような賑やかなドジがいないと、お化け屋敷みたいに怖いの。……まだ、お化け屋敷の方がお化けがたくさんいて賑やかだったわ。
私の人生、貴方との暮らしが半分以上占めているの。
今更静かに余生を送るなんて都合のいい切り替えなんてできやしない。貴方がいなかった時の生活なんて、遠い記憶の彼方だから。
貴方のドジを求めているだなんて、私の頭もとうとうおかしくなったんだわ。
貴方には悪いけど、きっとあの世へ行ってもドジしているのでしょう。
くれぐれも神様閻魔様にはご迷惑をお掛けしないよう、細心の注意を払ってちょうだい。
そして、また私に出会ったときは。
何も落とさず、何もこぼさず、何にも躓かず。
普通にお会いしましょう。
『また会いましょう』
極限に追い込まれた状態からが本領発揮
『スリル』
飾りじゃない
失敗でもない
今は使い所じゃないから
あえて畳んでるだけ
『飛べない翼』
夕暮れ。
頬を撫でる冷たい風。
名残惜しく解散して帰路につく。
目の前はススキ畑に囲まれて、遠くの景色には山しかないのに、何故かみんな家に帰る方向は間違えない。
自分の家へ向かって早歩き。
日が沈む前に帰らないとお母さんに怒られる。
「にぃちゃん、まって」
「ほら、早くしないと」
「ねぇ、まって」
「お母さんに怒られる」
「まっ」
ドサッと音がした。
慌てて振り返れば妹が地面にべちゃっと倒れていた。
俺は驚きすぎて固まった。
妹は顔を上げると、目から大粒の涙を流していた。
「うぇ、うぇ」
言葉にならない声を上げる妹に、嫌な予感がする。
こんなところで大声あげて泣かれたら、俺じゃあ泣き止ませられない。
慌てて妹に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「うぇ、うぇ」
「痛いか?」
「い、いたくな、ないもん」
妹は滝のように涙を流している。
鼻水も出ていてぐちゃぐちゃな顔だ。
起き上がる気配がないから埒があかなくて、俺は妹を抱き起こした。
手や膝、服についた汚れを叩いてやった。
「痛くないなら泣くなよ」
「だって」
「プリキュアは泣かないぞ」
「プリキュアも、なくもん!!」
自信満々に答えながらも顔がぐちゃぐちゃで台無しだ。
俺はポケットからしわくちゃになったハンカチを取り出して、無理矢理妹の顔へ押し付けた。
妹はイヤイヤと言いながら顔を振る。
それでも俺は黙って顔を拭いた。
いつの間にか、涙も鼻水も止まっていた。
「ほら、帰るぞ」
手を差し出しても、妹は俯いたままだ。
何か言いたいことがあるらしい。
俺はしゃがんで妹の顔を覗き込んだ。
妹は口をへの字に結んで拗ねていた。
「ちゃんと言わなきゃ、俺分からない」
話を促したら、妹は口を開いた。
「にぃちゃん、つめたい」
「は?」
「にぃちゃん、こわい」
「怒ってないけど」
「にぃちゃん、ひーのこと、きらい?」
妹の目にはまた涙が溜まっていた。
今にでもこぼれ落ちそうだ。
なんで妹がそんなこと考えたのか、全く分からないけど。
急ぐあまり冷たい態度をとっていたのかもしれない。
俺は、しゃがんだまま妹を抱きしめた。
「馬鹿だな、大好きだよ」
「バカじゃないもん」
「馬鹿だよ」
「バカっていったほうが、バカかなんだよ」
「じゃあ俺も馬鹿だ」
くふふと妹の笑い声が聞こえた。
ようやく機嫌が治って安心した。
帰ろうと体を離すと、俺の膝に血が付いていた。
妹を見れば、妹の膝から血がダラダラと流れている。
「マジで痛くないの!?」
「いたくないもん。ひーはプリキュアになるんだもん!」
「プリキュアもその怪我は流石に泣くって!」
俺は妹をおんぶして帰り道をダッシュで走った。
必死な俺の背中で妹は終始楽しそうに笑っていた。
『ススキ』
君に呼ばれた気がした
実際に君はここにいないのだけど
暗く冷たい部屋の中
ただひたすら沈黙を貫く俺は
頭の中で君を辿る
また名前を呼ばれる日を望んで
『脳裏』