今日も誰かに宛てて書きます。
日曜日はお休みの日なので、あなたへの手紙もお休みさせていただきました。
お元気でしたか。あなたの週末が楽しいものであったなら、私も嬉しいです。
手を繋ぐ機会って、そう多くないのかなあって思います。家族や友達、お付き合いしてるひととしかあんまりしないですもんね。
ましてや、手を繋いでなにか歩くとか以外のことをするなんて、フォークダンスくらいしかぱっとおもいつきません。
話は変わりますが、私はおさんぽが好きです。週に一回はひとりでふらっと公園や通ったことのない道を歩いたり、友達と川沿いに歩いていって石切りをしたりしています。
歩いているといろんなものが見えてくるんですよね。車や電車で通る道でも、ゆっくり歩くと素敵なものが見つかります。
たとえば、9月ごろに友達と迷路みたいな住宅街を歩いていたとき、おいしそうな個人経営のパン屋さんを見つけました。くるみパンを買ったのですが、ふわふわでバターがたっぷりでとってもおいしくて、それからは隔週で買いに行っています。
なぜ急におさんぽの話をしたかというと、そのとき私は友達と手を繋いで歩いていたからです。
もう子どもではありませんが、友達と二人で手を繋いで、あっちに行こうこっちが気になるとひっぱりあいながら歩きました。
手を繋ぐって、あたりまえだけどひとりじゃできないんですよね。そして、手を繋いでおんなじことをすると、ふたりぶんの目があるからふたりぶんの発見がある。そしてそれをあたりまえのように共有できる。
恋人どうしであっても、くっつくより手を繋ぐほうがなんというか、より能動的で意識的な行動なので、緊張と嬉しさが大きいとおもったりします。
私はひとと手を繋ぐのが好きです。
さて、曲を書こうとおもいます。
『海と山椒魚』という曲が好きです。
手を繋げない大切な誰かの、努力と苦しみが報われることを、幸せを願う曲なのかなあとおもっています。
たまにふと思い出して聞きたくなる曲です。
よかったら聞いてみてください。
さあ、週が始まってしまいました。
もうなんとかやっていくしかないので、一緒にがんばろうね。
月曜きつかったなあ。あなたもお疲れ様です。
また明日!
今日も誰かに宛てて書きます。
部屋の片隅でこそこそすること、していたことってなにかありましたか。私は保育園や幼稚園くらい小さいころ、お母さんにかまって欲しくて部屋の隅で縮こまってみて、ほとんど毎回スルーされていました。
それよりもうすこし大きくなったころに部屋の片隅でしていたことといえば、ゲームかなあ。親に隠れて友達と通信をしたり、図鑑やアイテムをコンプリートしようと攻略本を読んだり。いまとなってはゲームを当時とおなじ熱量でプレイすることはないので、懐かしくてすこし寂しいですね。
いま部屋の片隅でしていることと言ったら、なんだろう。そういう発想をすること自体があんまりなくなってしまったような気がします。おとなになるってこういうことなのかなあ。
そういえばこの手紙も、部屋の片隅で書いているようなものかもしれないです。自己満足のかたまりで、あんまり大人数に見られたくはない。
でもそういうところに転がっているものって、なんだか味があるというか、きらきらして見えるんですよね。なんでだろう。
海岸に落ちているなんてことのない貝がらを、なぜだか拾ってとっておきたくなるような気持ちに似ています。
今日もなにか曲を書きます。
『ここから、ここから』という曲が好きです。
それこそ部屋の片隅で聞いていた曲です。
部屋の片隅でしていたことが、今の自分になるきっかけだったかもしれませんよね。
ようやく明日は日曜日ですね。今日もお疲れ様でした。終末も楽しみましょうね。
また。
今日は自分に宛てて書きます。
逆さまだって。
逆さまかあ。
カラスは真っ白の『fake fake!』、最近聞いてないよね。
久しぶりに聞こうかな。
逆さま。ううん。
まず今の生活のことだね。
昼夜逆転も甚だしいからね。
逆さま。さかさま。
好きな語感だなあ。
さくさくしてる感じと、くるくるしてる感じがする。
今日ほんとつかれた。
今日も誰かに宛てて書きたかったのに。
でもこんな日もあるよね、生きてるし。
明日もなんとかやっていこう。
あなた、今日はこんな文でごめんなさい。
なんとなく、あなたに宛てた手紙を書くつもりで書くことにしていましたが、
元気が出ない日もありました。
あなたも、今日はほんとうにお疲れ様です。
また。
今日も誰かに宛てて書きます。
『眠れないほど』がテーマだということは、眠れないほど○○と続く言葉があるということですよね。
人によって使い方がすごく違っておもしろそうです。
眠れないほど、と聞いてぱっと思い浮かんだのは、最近、『○○すぎて夜も眠れない』という構文をよく見かけるので、それかなあ。○○すぎて夜しか眠れない、の方がよく聞くか。
人間って基本的には眠れると思うんです。もちろん不眠症とかのかたもいらっしゃるでしょうが、私は基本的に眠たくなります。徹夜しようとしても朝方にはうとうとするし、できても活動時間がぼろぼろになります。
そんなぼろぼろの状態になっても『眠れないほど』のこと、なにかあったかなと考えて、ふたつ最近の例に思い当たりました。
ひとつは、タスクが溜まりすぎて睡眠時間が確保できなかった例です。
詳細は伏せますが、日数的猶予がすごく少ない状況で必要な物品を揃えなくちゃいけなくなったことが直近でありました。そのときは寝ている暇もなくて、眠れないほど『忙しい!!!!』でした。
もうひとつは、すこし人間関係で悩み事があったときですね。自分の言動に反省点があったことも含めて考え込んでしまって。夜に悩むとよくない方向に想像力が働く上にやめどきを見失いがちですよね。そのときは眠れないほど『悶々と考え込んでいた』状態でしたね。結局朝方まで目が冴えてしまった覚えがあります。
共通点としては、睡眠を疎かにするレベルの「非日常的ななにか」があることですね。好きなことに夢中になって睡眠を忘れてしまうこともあると思いますが、それも非日常に含めていいんじゃないかなとおもったり。
でも、眠れないほどなにかをしたことって、大体なんとなく覚えていませんか?あの時ああだったなって記憶がうっすらずっとあるような。たまに思い返すような。
眠れないほど○○、悪くないことなんじゃないかと思います。どうでもいいことで眠れなくならないですもんね。
今日もなにか曲を書こうとおもいましたが、本当に思いつきません。なにかあるかな…
東京事変さんの、『スーパースター』という曲が好きです。
歌詞は、自分の好きな人や、いまどきでいう「推し」に恥ずかしくない人間でありたいな、とおもう人を歌っているものかなあ。 全体的に柔らかくて重たい思いが載せられてて、どこか優しい曲です。
眠れないほど夢中になれるものがあると素敵だよね、と思って紹介させていただきます。
今週ももう後半ですね。今日もお疲れ様でした。
長い木曜を乗りきった自分をえらい!と褒めてあげつつ、明日もなんとかやっていこう。
二回も全消えして泣きました。
夢だったらよかったのに。
これが現実です。
わしのスマホが重すぎるんじゃ。
今日も誰かに宛てて書きます。これで同じ文章を書くのは三回目ですが。
夢と現実かあ。
どちらも複数の意味をもつ言葉ですよね。
夢は、将来の夢、寝ている時の夢、願いの夢があるかな。
現実は、2次元やほかの世界と対照するリアルの意味や、自分の現状、自分や周囲のネガティブなことの意味でよく使われるような気がします。
他にもきっと色々あるけど、いまぱっと思いついたのはこのくらいですね。
私にとっては、夢と現実は理想と現状の使い方がいちばん身近かな。歳を重ねるにつれて、寝ても夢を見なくなってきているのもあるし、自分の未来を具体的に考えられるようになってきたのもあるかもしれません。
私の現状はさすがにないしょですが、理想はふわっとしたものが多いです。
たのしく暮らせたらいいなあとか、好きなアーティストさんのライブたまにはいきたいなあとか。
でも叶えたいですね。
あなたにとって夢と現実はどんな意味でしたか。とっても気になります。
最後に、昨日はテーマにぴったり合う曲があったから書いちゃったんですが、今日も書こうかなあ。
『遠く、遠く、遠く。』っていう曲が好きです。
この曲は、潰えた夢を微睡みながら夢に見ている人の曲かなあって思っています。寂しいけれど暖かい曲です。
逆に希望の曲なら、『シークライファー』が好きです。私は、夢がなくたって現実を踏みしめて頑張る人の曲、もしくはそんな人を応援している曲だと思っています。
どちらも元気を出したい時にきく曲です。
よかったらきいてみてくださいね。
今日もお疲れ様でした!明日もがんばろう。