澄んだ瞳
いつから私の瞳は濁ったのか。
気がつけば、世間を真っ直ぐ見れなくなっている。
僻み、妬み、自己顕示欲、憎悪、苛立、、
それらが街中に溢れかえっているように見えるのだ。
友人の褒め言葉すら、まっすぐ受け止められずに、
どうせそんな事思ってもないんでしょ?
って思ってしまう。
だけど、仕事帰りに見た夕焼け。
あれを目に捉えた瞬間、
この世の中は思ったより綺麗なのかもしれないと
感じることができた。
きっと、その瞬間、私の目は澄んでいた。
お祭り
俺が中学生のころ住んでた小さな町では、
山の上の運動場でお祭りがあった。
友達と屋台をふらふら回っていたあの時、
すれ違った。
そう、あれは確かに隣の席のあいつだった。
俺はあいつのことが苦手だった。
学級委員長をしているあいつは、ザ真面目というか
冗談が通じないというか、
こっちが話しかけても態度がそっけない。
休み時間も教科書をひとりで読み込んでいて、
笑っているところなんて見たことない。
だけど、すれ違ったあの瞬間、
彼女は笑っていた。
色白の肌に似合う紺色の大人びた浴衣を身につけ、
長くて綺麗な黒髪をふんわりと束ねた彼女は、
目を細めて優しい笑顔を一緒にいる友人に見せていた。
ーなんだ、笑うんじゃん。
あの瞬間からなんだ。
俺の中であいつのことが気になり出してしまったのは。
あの笑顔を俺にも見せてくれって
不覚にも思ってしまったんだ。
神様が舞い降りてきて、こう言った。
「お前らの願いは沢山叶えてあげているのに
私の願いは誰も叶えてくれない。」
ー神様、貴方の願いは何でしょうか?
「正月にゆっくり過ごすことだ。
お前らが押し寄せるから正月は慌ただしい。
私だって大学駅伝を応援したいのだよ。」
鳥かご
「私はまるで鳥かごに閉じ込められた鳥のよう。」
偶に小説などで目にするこの言葉。
私は自分の鳥かごがあることは素敵な事だと思う。
自分の帰る場所、安心できる場所があるからこそ、
人は外に出かけたくなる。旅をしたくなる。
だけど、どんな旅人でも死ぬまでに
世界中全ての人と出会うことはできないし、
全ての自然を目にすることもできない。
その意味では、人間はどれだけ頑張っても
自分の鳥かごの中からは逃れられないのかもしれない。
友情
私には「友達」はそこそこ沢山いるけれど、
全てに「友情」が芽生えているわけではない。
「情」ってやつは一緒に苦しいことや嫌なことを乗り越えて初めて生まれるんだと思う。
楽しいことをするだけの友達には情は生まれない。
苦しいことに直面すると
相手に対して苛立ちや葛藤、悲しみなど、色んな負の「情」も生まれるけど、
それを克服するうちに
不格好な「友情」が芽生えるんだろうな。
そしてそれは一生物の財産になる。